OWN STANDARD KOJI YAKUSHO Vol.04 2026 October Issue

準備して未知なる領域に飛び込む。

東京のスタイル・アイコンを捉える
ポスターサイズ・フリーペーパー『OWN STANDARD』。
第4回は俳優の役所広司。
宮藤官九郎脚本のNetflixシリーズ『俺のこと、なんか言ってた?』で
“承認欲求モンスター”を怒涛の七変化で演じきった名優が語る
役づくりの流儀と、若い世代に手渡したいもの。

※本記事の全文はフリーペーパー版に掲載しております。お近くの店頭でぜひご覧ください。

「一生に一回でいいから『俺を誰だと思ってるんだ!』と言ってみたいですよね。さすがに言ったことはありません(笑)」と役所広司は笑う。10月22日からNetflixで世界独占配信中のシリーズ『俺のこと、なんか言ってた?』で、彼が演じるのは、まさにそのセリフが似合いそうな大物俳優・高瀬川玄だ。日本で十二分に成功した後、ロンドンのシェイクスピア・グローブ座で『リア王』を演じスタンディングオベーションを浴びた高瀬川は、パンデミック明けに2年ぶりに帰国すると、なぜか世間からも家族からもすっかり忘れられていた。脚本は宮藤官九郎、企画・プロデュースは磯山晶。賀来賢人、松山ケンイチ、江口のりこ、�M田雅功、吉田羊ら癖の強い共演陣に囲まれ、役所はリア王からホームレス、サウナの熱波師、エキストラ、時代劇の斬られ役と、怒涛の七変化を見せる。私は全8話を見て何度も大笑いし、後半は幾度も泣いたことを告白しよう。自身が演劇出身で、ドラマや映画の脚本も多く手がけ、業界の内幕を知り尽くした宮藤官九郎の脚本家としての最高傑作ではないかと思うほどの出来だ。

企画の発端は、役所が嘉納治五郎を演じたNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』にさかのぼる。

「宮藤さんは僕も好きな脚本家で、『いだてん』の打ち上げで『また一緒にやりましょうね』と言ってくれたんです。すぐに仕事が来るかと思ったら、なかなか来ない(笑)。社交辞令だったのかなと思っていたら、プロデューサーの磯山晶さんから『宮藤さんの脚本でやりたい』と声をかけていただいて、喜んでお受けしました」

物語の舞台は、役所自身が長年生きてきた映画やドラマの世界そのものだ。脚本には見覚えのある光景が詰まっていたという。

「心当たりのある風景がたくさん出てくるんです。僕自身、たった一言のセリフがなかなか言えない時期もありましたし、悔しかったことを本当によく覚えています。エキストラの人たちが疲れてきて『もう帰ろう』なんて小声で話しているのを小耳に挟んだり、義理で出てきている大物俳優がいたり、監督が困っていたり。宮藤さんは本当に冷静な目で、いろんな現場を見ているんだろうなと思いました」

このドラマの視聴者の多くは、高瀬川玄と役所広司本人を重ねて見るだろう。だが本人の見立ては少し違う。

「僕も承認欲求モンスターではあるけれど、高瀬川玄みたいにあからさまには出さない。どちらかというと、ずるいタイプの俳優ですね(笑)。高瀬川は隠そうとしても見えてしまう、好感の持てる役者です。僕なんかは承認欲求があるのに、そうでもなさそうな顔をしてやり過ごしてきた、可愛げのないタイプだと思います。だから『俺のことだ』とは思わなかったけれど、『これは正直な俺だな』とは思いました」

リア王を演じる大物俳優からホームレスへ。頂点からどん底への振れ幅を、宮藤の脚本は具体的なイメージで要求してきた。

「宮藤さんの脚本には、イメージのインサートがたくさん書かれているんです。それを具体的に絵で見せていくので、一日に何回も扮装を替えたり、髭をつけたり、汚したり、きれいにしたり。台本を読みながら大変だなと思いましたけど、面白そうだなとも思いましたね」

なかでも圧巻なのが、ホームレスからようやく仕事を得たサウナの熱波師を演じる場面だ。ピンクのポロシャツにタオルを巻いた姿からはリア王の威圧感がすっかり消え、本当にサウナの従業員にしか見えない。役所は以前あるインタビューで、「たとえ一瞬背中が映るだけでも、その人物っぽくない違和感は残したくない」と語っていた。その違和感を、彼はどう消していくのか。

「サウナの店員とかトイレ掃除とか、得意なんです(笑)。台本を読んだときに、なんとなく自分に入ってくる人物の雰囲気があるんですね。衣装合わせで『この人はこれを着ないな』と思ったら、『他にないですか』と言います。喫茶店でコーヒーを飲むのか、この人なら意外とアイスミルクかな、というのも直感です。ある程度自分のイメージができているので、違う動作や感情を与えられると、すごく気持ちが悪い。でも最初から自分のほうに持っていくのではなく、どうすればその気持ち悪さが役のものになるかを考えます。監督の要求があるので、歩み寄れるところは歩み寄る。それでもどうしてもダメなときは、監督に相談します。そうやって準備をしていく間に、『この方向だな』と見えてきます。現場に行って、その人物が住んでいる部屋や本棚の本を見ると、『ああ、こういう本を読んでいるのね』と、どんどん入ってくるんです。ちゃんとした美術の人たちは、本当によく準備してくれる。そこからエネルギーをもらいますね」

リア王からトイレ清掃員まで演じられる俳優は、この地球上に役所広司とロバート・デ・ニーロくらいしかいないのではないかと私は思う。たたずまいとしていちばん遠いものを軽々と演じてしまう、その変身を役所自身は楽しんでいる。

「化けることは楽しみですね。見てくれる人の期待を裏切るのは、楽しいものです。新しい台本が届くと、『こういう人は久しぶりだな』『この展開は新鮮に感じてもらえるかな』と考えます。この顔と体とこの声だから、そんなにたくさんの役はできないけれど、同じ役が続かないほうが、僕としては得だなと思っています」

ドラマの後半では、高瀬川と、演出家や脚本家を志す若者たちとの関係が物語の肝になっていく。それは役者や映画、演劇に関わる者たち、とりわけ志を抱きながらもがいている若い世代への賛歌のようにも見える。役所自身は、仲代達矢が主宰した「無名塾」からこの世界に入った。その頃の自分に何か伝えるとしたら、と訊くと答えは短かった。

「『真面目に取り組め』ですね。僕も若い頃は本当にいい加減で、なんとなくこの世界に入ったんです。仲代達矢さんも若い頃、酒ばかり飲んで暴れていた時代の話をしてくれたし、現場に行けば先輩たちが酒の席で武勇伝を話している。役者ってこんなもんか、と。自分の出番を撮ったことも忘れるくらいの二日酔いで現場に行ったりしていました。京都で時代劇をやっていた頃は、使っていないオープンセットで寝ていたら、気づくと映画村のお客さんに覗かれていたこともあります(笑)」

高瀬川は劇中で「役者は容れ物(いれもの)だ」とも口にする。役所広司という現在最高の容れ物は、どうつくられてきたのか。そこには師・仲代達矢の教えがある。

「仲代さんがよく『日常生活は白紙でいなさい』と言っていました。役によっていろんな色に変わればいい、普段から個性的である必要はない、と懇々と言われました。仲代さんご自身はあれだけ個性の強い人ですから、なかなか白紙ではいられなかったでしょうけど(笑)。でも、確かにそうだなと思います。得体の知れない、どんな形にでもなりそうな容れ物。ちょっと四角くしてみようと思ったら四角くなりそうな、頑なじゃない容れ物になりたいですね」

無名塾で学んだ役所が、いま若い俳優や作り手に手渡したいものは何か。役所の答えは、努力と訓練だった。

「僕は気づいたのが遅いんですけど、努力することと訓練することは裏切らないと思います。役を演じるために準備して、いろんなことを調べる。それが画面に出てくるんだろうなと。昔はスタッフが資料をあまり用意してくれなかったけれど、でも今は違います。『PERFECT DAYS』では脚本の高崎卓馬さんが、何日も清掃員の方と一緒にトイレ掃除をした記録をくれました。勘だけでできることもあるかもしれないけれど、より深く表現したいなら、表現に表れるかどうかわからないことでも、知っておくことが大事なんだと思います。僕たちの仕事は、人前でまったく違う人物を演じるわけですから、勇気がいるんです。見ている人よりもいろいろ調べて知っている、というだけで、勇気を出して飛び込める気がするんですよね。ノリでできていた僕なんかはその典型ですけど、ノリだけではあるところから先は越えられない気がしますね」

では、その勇気を出すには何が必要なのか。

「清水の舞台から飛び降りるようなものですけど、ひとつは今言った準備。これだけ準備したんだから、もう失敗してもいいや、と思えること。そして、失敗を恐れないことですね。セリフを間違えちゃいけない、このシーンができなかったらどうしよう、ではなく、ここまでやったんだから思いきり飛び込む。そうすると、自分が想像するよりうまくいくときがあるんです。それは自分だけの力じゃなくて、スタッフが準備してくれたものや、共演者の顔や目や表情で、パフォーマンスがぐっと上がる。新人の頃は、ベテランのスタッフも先輩も、敵だらけに見えて相当怖かったですよ。でも、みんなを信じて、みんなが味方だと思って飛び込むことがいちばんです」

最後に服へのこだわりを訊くと、ここにも役づくりに通じる感覚があった。

「着て自然な感じになるものと、反対にときどき冒険してみて『これ、結構面白いじゃん』と思えるものの両方が好きです。若い頃は汚れが目立たないから黒ばかりで、結婚したときもカミさんに『なんで黒ばっかり着るの?』と言われていました(笑)。今も黒は好きですけど、ときどき明るい色を着ると、自分の中身がちょっと変わったような感覚を味わえるんです。だから昔と比べると、ずいぶん冒険するようになりました。信頼できるスタイリストさんとなら、冒険したいですね。今日だって、ブーツの中にパンツを入れるなんて、安全靴に見えないか心配でしたよ(笑)」

取材の前後の雑談で、鎌倉市川喜多映画記念館で開催中の役所広司展「LIVING IN CINEMA 俳優 役所広司」の話になった。そこで上映されている特別映像の中で、ヴィム・ヴェンダース監督が「役所さんとSF映画を作りたいんです」と驚くべき発言をしていた。まだ構想段階とはいえ、果たしてヴェンダースの手で、役所広司のいかなる未来像が描かれるのか。確かに言えるのは、世界中の観客がますます「役所広司のこと、なんか言ってる」未来になるということだ。

Netflixシリーズ
「俺のこと、なんか言ってた?」
世界独占配信中

本作は、ロンドンの舞台公演で成功を収めた大物俳優・高瀬川玄(役所広司)が、パンデミックが明けて、2年ぶりに帰国すると、世間からも家族からも完全に忘れられてしまっていたことから始まるヒューマンコメディ。
脚本・宮藤官九郎×プロデューサー・磯山晶の黄金コンビと金子文紀監督らが再結集し、“承認欲求”をテーマに描く本作。主演の役所広司が“承認欲求の塊”である高瀬川玄をコミカルに演じ、熱波師からエキストラ、リア王まで怒涛の七変化を披露する。さらに、賀来賢人、松山ケンイチ、江口のりこ、河合優実、�M田雅功、磯村勇斗、上川周作、山本博(ロバート)、中井千聖、坂井真紀、吉田羊ら超豪華キャスト陣が集結。すべてを失った男がゼロから再起を目指す中で大切なものに気づいていく、笑いと感動の再生の物語だ。

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