自分に疑問を投げかけることで自分を維持する。
東京のスタイル・アイコンを捉える
ポスターサイズ・フリーペーパー『OWN STANDARD(オウン スタンダード)』。
第二回は女優の板谷由夏。
モデルから女優へ、そしてニュースキャスターも務め自らのブランドも手がける
多才な彼女が語る「進化」し続ける理由。
※本記事の全文はフリーペーパー版に掲載しております。お近くの店頭でぜひご覧ください。
久々に撮影スタジオでお会いした板谷由夏はまったく変わらなかった。自ら車を運転して一人でスタジオに到着し、写真家の鶴田直樹や私との約20年ぶりの再会にもかかわらず、まるで昨日のことのように当時のセッションのことを語り、プライベートなことも臆さず語る。彼女は昔も今も飄々と自立した人間なのだ。板谷由夏は変わらないが、全く止まっていない。その彼女の生い立ちから話を伺った。
板谷は、1975年福岡市生まれ。この世界に入るきっかけは、読者モデルへの応募がきっかけになる。
「読者モデルに応募したんです。私たちの世代の90年代初頭はスーパーモデル・ブームだったんです。ケイト・モスが出てきて、彼女の身長が170cmだったんですよ。それまではクリスティー・ターリントンとかもう175cm以上ばかりだった。当時はテレビ番組の『ファッション通信』にドはまりして、大内順子さんの『ファッション通信』の解説をずーっと見ていたんです、北九州で(笑)。とにかくファッションが好きで、当時タワーレコードで洋書や洋雑誌を扱い始めて、『ヴォーグ』の海外版とかが輸入されて販売されていて、お小遣い貯めてタワレコとかHMVとか行ってましたね。ケイト・モスが出てきた時に、『あれ、170cmでモデルできるなら私、今170cmあるぞ』と思ったんです。そこで今は無き婦人画報社の『MCシスター』という雑誌の読者モデルに応募し、新橋の婦人画報社に行ってオーディションを受け、最終審査まで残りました。それが高3の時。最終的に私は落っこちまして。もうひとつオーディションを受けた雑誌が、ソニーマガジンズ(※ソニーミュージックエンタテインメントの子会社だった出版社)に『PeeWee』というファッション雑誌があって、それも同時に受けてたんです。でも母が『MCシスター』に落ちたから戻ってこいと、『PeeWee』の最終審査を受けられずに戻ったんですね。次の年に、悔しくてしょうがなくて再度『MCシスター』と『PeeWee』に応募したら、どちらも最終に残ったけれど、『MCシスター』には行かず『PeeWee』に行って、『PeeWee』に受かったんです。 それから『PeeWee』の専属を丸2〜3年ぐらいやっていました」
板谷は月〜金は福岡の高校に通いながら、週末は飛行機で東京に行く日々を送る。当時のマネージャーの家に泊まったりしながら、月曜日の授業に間に合うように帰るという二重生活スタイルが始まる。
「それが辛いという思いはなくて、面白い以外ないですね。当時東京で遊んでくれたお姉さんとかお兄さんがいて、一緒にクラブ活動もしていましたよ。まだぎりぎり芝浦のゴールドがあって、西麻布のYELLOWとかトゥールズバーとかによく行ってましたね。短大では“板谷さん”が二人くらいいて、出欠でハイと代理で手あげてくれる人が(笑)。卒業してから上京して。 『PeeWee』がソニーマガジンズだったので、そのまま系列のソニーミュージックスターズ預かりになったんです。当時はジュディ&マリーさんたちの音楽をやる方やタレントさんたちが多く所属する事務所でした。映画が大好きなので、将来芝居をしたいと思ったんですが、あまりうまくいかず、事務所を退所したんです。これからどうしようかなと思っている時に、たまたまアミューズの大里会長が私の初出演の映画『avec mon mari』(アヴェック・モン・マリ)を見ていて、『うちに来ていい』と言われて」
板谷由夏の映画デビュー作にして初主演作品が『avec mon mari』。監督の大谷健太郎の長編デビュー作でもある。この映画で板谷はヨコハマ映画祭の最優秀新人賞を受賞。夫の浮気を巡る4人の男女の軽妙なやりとりを描き、16mmフィルムカメラによるヌーヴェルヴァーグ的なスタイリッシュな画面の中、とても自然体な会話のやりとりが実に心地よい。シナリオがないかのような自然で臨機応変に見える喋りが、最近の恋愛ドラマの先駆けのようにも思える。映画で板谷の役は編集者だったため、自分も編集者という職業ゆえに余計共感を持って観たものだ。
「今観ても面白いですね。 この間久しぶりに観たら面白かったです。デビュー作として、あれはラッキーでしたね。この作品に出て、演技がというより、映画作りが面白いと思ったんです。カメラ・照明・音声・美術などいろんな部署があって、ひとつの映画をワーっと作る姿勢にやられたんですよね。現場の一体感にカルチャーショックでした。だからその映画作りの一員に私もなりたいと思ったんです」
デビュー作にして新人賞を獲るなど順風満帆なスタートに思えた女優人生だが、当の本人は必死でもがいていたという。
「20代はもう必死でした!『avec~』をやったことで、芝居ができると勘違いしてたんですよ。『avec~』がなぜ上手くできたかというと、ちゃんとリハーサルを重ねたし、監督も初監督で丁寧にやってくれたから。あの後いただいた仕事を一個ずつやって行くのが本当に大変でしたね。経験がないのでいきなりできるわけないじゃないですか。自分自身に対する悔しさもありましたよ。今も全然自分の芝居に納得いってないです。ずっと納得いかない仕事なんじゃないですかね」
映画では『アウトレイジ』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』などの話題作に出演。最近では『夜明けまでバス停で』(2022年)が毎日映画コンクールの日本映画優秀賞、『キネマ旬報』の日本映画ベストテンの第3位、そして板谷が日本映画批評家大賞の主演女優賞を獲得する。『夜明けまで〜』にて、板谷はコロナ禍の非常事態宣言下における居酒屋の店員の役を演じる。お店が閉店を余儀なくされ、ホームレスに転落する彼女が精神的にだんだん追い詰められながらも、人としてのギリギリの尊厳をいかに保つかが見事に描かれた映画になっている。
「監督の高橋伴明さんは私にとって『光の雨』で20代の時にご一緒しているので、伴明さんが『板谷やるぞ!』と言ったらもうなんでもやりますという感じです。設定的には居酒屋のおばちゃんという役なので、役のために実際に居酒屋でバイトしました。自分らしい役をやるという感覚はあまりないんですよ。私を通してやったら面白いかもと思ってくれる人がいるならば、なんでもやります」
『夜明けまでバス停で』はコロナ禍の緊張感や当時の安倍政権下の政治状況とかをリアルに表している映画となった。
「伴明節が全開ですよね。まさか最後に国会議事堂を爆発させるとは思わなかったですが(笑)」
板谷由夏のもうひとつの顔として日本テレビのニュース番組『news zero』に11年間キャスターとして出演していた経歴がある。それも単にアナウンサー的なポジションではなく、自ら取材して語るというジャーナリスト的な立場だった。
「『news zero』は自分にとっては学びそのものでしたね。人に会うこと、困っていることを知ること、社会のことを知ること。コロナ禍の時に孤立してしまった人たちや『助けて』と言えない人たちのこと、政治も含めておかしいなあというのがすごくあって。『おかしいと思うことはおかしいと言っていいんだ』という気持ちになれた。『夜明けまで〜』で伴明さんが言いたいことと自分が十何年やってきたことが重なるという感じはありました。社会に対してどうこうとか偉そうなことじゃなくて、『取材の日々を無駄にしたくない』という気持ちと、『こういう社会に目を向けるような映画に出してもらえるようになれた』という感覚があって、それが大きかったかもしれないです。『news zero』を始めた頃はディレクターやプロデューサーと『こういうことを取材してきてこういうことを話したい』という話し合いをちゃんとしていたし、自分の言葉で話すことができていました。でも今のテレビニュースを見ていると、だいぶ窮屈になってきた感じがしますよね。当時『用意された原稿を読むのではなくて、取材に行って自分の言葉で話す』という姿勢を持たせていただいていたので。今それをやるとなると、インスタグラムとか自分のメディアを通してではないとできなくなってるなという感じはします。『news zero』の11年間は女優業にも糧になりました。人の生の声を聞くことが一番の学びになりました。自分の中のいろんなグラデーションや積み重ねに、『news zero』はすごくなりましたね」
大のファッション好きで知られる彼女は、自身のブランド『SINME』(シンメ)も手がけることでも知られる。自分のスタイリングで気をつけていることは何だろうか?
「“引く”ですね。足すんじゃなくて引く。要素が多いものがあまり好きではないんです。“抜け”があるというか、隙間があると嬉しいんですよ。多分それは自分のブランドにも、それ以外でも意識していますね」
大胆に新しいことに“飛び込む”側面と“引く”側面のバランスをうまく取りながら、板谷由夏は進化しつづける。昔から猛烈な映画ファンで今もシネフィル並に映画館に通う彼女に、演じるだけでなく演出や監督への興味を伺った。
「チャンスがもしあるのなら、やってみたいですね。まずドキュメンタリーを撮ってみたい。今結構ドキュメンタリー出身の人が劇映画をどんどん作っていますよね。50歳になって体力は多分落ちたと思うんですけど、マインド的には変わらないです。維持できているのかなと自分にいつも疑問を投げかけることで維持していると自負ではないけれど思い込んでいます。『できてる?できてないんじゃない?』とね。そうすると『あれやってみよう、これやってみよう』とどんどん出てくる。その気持ちをなくすのが怖いから自分でお尻を叩くように『野生を失ってないか』『ぬるま湯につかってんじゃねーよ』と思うようにはしています。そうでないと退化するというか進化できないですからね」











