夢は叶えたが、まだ満足はしていない。
東京のスタイル・アイコンを捉える
ポスターサイズ・フリーペーパー『OWN STANDARD(オウン スタンダード)』。
記念すべき第一回は東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦。
ジャマイカ発祥のスカという独自のリズムをベースにした音楽を
日本のお茶の間にまで浸透させた日本を代表するスカバンドのバリトンサックス担当に現在の到達点を伺った。
※本記事の全文はフリーペーパー版に掲載しております。お近くの店頭でぜひご覧ください。
「デビュー時に『お茶の間にスカを』と謳っていたんですよ」と東京スカパラダイスオーケストラ(以下スカパラと略)の谷中敦は言う。それは結成当初のリーダーを務めたパーカッション担当のASA-CHANGの掲げたテーマだったという。「当時メンバーにとってはすごく衝撃的な言葉だったんですよ。お茶の間とか関係なくかっこよくやるぜ、お茶の間に背を向けて不良っぽくやりたいみたいなバンドのムードがあったのに、ASA-CHANGは『お茶の間にスカを』と言っていて、それも逆にパンクだなと感じたんです。そういう意味ではそれが今、実現しているという感覚ですね」
スカパラは1989年のレコードデビューから今年で37年目を迎える。東京オリンピックの閉会式にも出演、2022年の紅白歌合戦のオープニング出演、また正月番組『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP2026』にも登場するなど、まさにお茶の間的、国民的バンドと言える認知を得ている。
3月18日にはニューアルバム『[SKA]SHOWDOWN』を発売。稲葉浩志、アイナ・ジ・エンド、ALI、Chevon、TK(凛として時雨)といった様々なアーティストとコラボした“VS.シリーズ”の楽曲群を軸にインスト曲、フィーチャリングゲストとして浅井健一、スカパラの茂木欣一がボーカルの曲などが収録。また去年から今年2月まで怒涛の全国47都道府県を回るツアー、<HALL TOUR「47」>は全公演完売、満員御礼で完走した。
長い活動歴を誇るスカパラだが、それだけに様々なドラマもある。リーダーの脱退、メンバーふたりの急逝など、幾多の困難を乗り越えた力強さが彼らにはある。私は何度もスカパラを取材しており、その関係でスカパラのふたつの葬儀と3つの結婚パーティーに出席しているのだが、そういう関係を結べているバンドというのは他に類がない。ニューアルバムの制作ならびにホールツアー中の谷中敦に衰えることのない創作意欲とモチベーションについて話を伺った。
スカパラの歌モノ楽曲の作詞を手掛ける谷中は、文学と音楽の両方に耽溺する十代だったという。
「ただの読書家でしたね。また兄は映画音楽が好きだったので、その影響でまだ見たことない映画音楽を聴いて、映画を想像するというのが好きだったし、カルチャー全般に興味を持つようになりましたね。父親が電子顕微鏡の設計技師だったので理系に行くべきだなとは思っていたんですけど、自分にそこまで理系を目指す根性はないと挫折感も感じたりしてね。でも理系の父親に負けないような、真理を探求するような文系の人間になりたいという気持ちから真逆の方向にいった感じです」
谷中は早稲田大学の附属校、早稲田大学高等学院に進み、そこでバンドを結成。そのメンバーのひとりが今もスカパラにいる沖祐一だ。沖とは高校三年間同じクラスで一緒にバンドをやるという生涯の関係を結ぶ。またそのバンドには慶応大学の附属校にいた川上つよしも加わる。その後、早稲田大学の第一文学部に進学し、大学生の頃にパーカッション奏者のASA-CHANGと出会ってスカパラに加入することになる。
「東京ユニオンや東京キューバンボーイズのように、昔あった日本のジャズのビッグバンドの形式でスカという音楽をやるのは面白いんじゃないかっていうのはASA-CHANGのアイデアです。でも俺は彼に出会う前にスカを全然知らなかったんですよ。スペシャルズ(※イギリスのスカ・バンド。70年代後半〜80年代前半に世界的にヒットを放つ)には川上やドラムの青木(達之)はすごく影響を受けていると思う。俺はそのふたり経由でスペシャルズの魅力を教えてもらったから」
谷中がスカに惹かれた要因はノーボーダーなところだという。
「スペシャルズには、パンクっぽい要素とソウルっぽい要素が合体していますよね。彼らは『ツートーン』(※白黒の市松模様をキートーンにして、白人と黒人が一緒に音楽をやることの宣言)を謳って、ノーボーダーな、人種も超えていくことを打ち出していたでしょう?あの影響はすごく大きいですね」
スカパラのメンバーたちとの出会いは大きな刺激だったという。
「いろんなタイプの人間がいながらも、スカという音楽でまとまっていったということがすごく面白いですよね。 俺は『七人の侍』『里見八犬伝』や『真田十勇士』みたいな、さまざまなキャラクターが集まって何かを起こす話がもともと好きなので。スカパラのメンバーも、これは得意だけどあれは不得意みたいな、 そういう人たちの集合体で最高だなと思って、最初からワクワクしていました」
1989年にファイル・レコードから『東京スカパラダイスオーケストラ』でデビュー。スカは当時決してメジャーではないジャンルの音楽だが、なぜスカパラは最初から受け入れられたのだろうか。
「大所帯でステージに立った時にお客さんにびっくりしてもらえるなというのがあったので、世の中の人に印象づいたのかな。それがスカという音楽とよく繋がったと。スカはすごく人懐こい音楽じゃないですか。上から目線でもないし、同じ目線でお客さんと盛り上がろうみたいな。お客さんが参加したくなる音楽だと思うんですよ」
『めくれたオレンジ feat. 田島貴男 』(2001年)の大ヒットを皮切りに、『カナリヤ鳴く空 feat. チバユウスケ』、『美しく燃える森 feat. 奥田民生』とフィーチャリング3部作発表以降、スカパラは膨大な数のボーカリスト、バンドと歌モノを手がけ、多くをヒットさせる。コラボしたボーカリスト、バンドの数は50名/組以上。まさに日本のポップ・ミュージックを支えるビッグバンドとなった。
しかしこの37年間の中で、スカパラにはいくつものドラマがあった。メンバーのクリーンヘッド・ギムラ、青木達之が亡くなり、リーダーだったASA-CHANGが脱退し、幾人かのメンバーチェンジもあった。これだけの事件が起きれば、一般的なバンドは解散や活動停止をしてもおかしくないほどだ。
「若い時に迎える友達の死は本当にでっかいです。『生きているとは何か?』とやっぱり考えますよね。そこでバンドが終わるかもくらいの事だったわけですけど、自分たちがここでやめちゃったら、自分たちみたいな存在はなくなっちゃうんだというのが寂しいので、続けたいと。スカパラというものはすごく面白いし、これを継続したいなと。それを面白がってくれている人もたくさんいるし。『スカパラから勇気もらった』とか『病気のお母さんが身体を治してスカパラのライブに行くのを楽しみにしているんで動画メッセージお願いします』と依頼があってメッセージ動画を送ったりとか最近多いんですけど、そういうのは励みになりますね。
でも今もスカパラを続けられている最大の理由は、まだスカパラのメンバーが未だに満足してないからですね。メンバーは、まだまだ自分たちの音楽が浸透してないと思っているはずですよ。僕もそう思いますね」
常にスーツ・スタイルでライブをやるスカパラの一員として、さらに俳優業も精力的に行うセレブリティとして、谷中のスタイルへのこだわりを伺ってみた。
「高級なホテルのラウンジや銀座のハリー・ウィンストンに宝石買いに行ったとしても成立する服でありながら、新橋の飲み屋でも似合うような服が理想ですね(笑)。ストリートっぽくても、どこか品がある方がいいし。俺はそういう人間でありたいし、服もそれがいいなあと思うんです」
3月発売のアルバム『[SKA]SHOWDOWN』のレコーディングの間を縫って行われたこの取材。スカパラ、そして谷中敦の長いキャリアでかなりのことを達成したと思える現在、まだ到達してない地点はあるのだろうか。
「スカパラの他のメンバーを見てると、もっと売れたいと考えていると思うんですよ。今まで作ったものにも自信があるんで、そっちにも目を向けてもらいたいなと。ぶっちぎりナンバーワンみたいな楽曲ができたとしたら、さかのぼって聴いてもらえるわけじゃないですか。だから自分たちの今までの歴史を輝かせるためにさらなる栄光をつかみたいということはあるかもしれない。そうすると、今までやってきたことが無駄じゃなかったなという人生になるのかなと。逆もあるわけですけどね。最新作が最低作だったら、今までのなんだったの?みたいな感じになると思うので。自分の今までの足跡が輝くようにするためには、最新で挑戦をしながら、最高のものを目指していかなきゃいけないと思うんです」











