OWN STANDARD KYOKO MIYASHITA Vol.03 2026 August Issuee

人生のピークは、なるべく後ろ倒しがいい。

東京のスタイル・アイコンを捉える
ポスターサイズ・フリーペーパー『OWN STANDARD』。
第三回は舞台を主戦場に活躍する女優の宮下今日子。
バレエと演劇に半生を捧げ、いま話題のドラマ『VIVANT』第2シーズンで新たな顔を見せる彼女が語る、
まだ助走を終えていない理由。

※本記事の全文はフリーペーパー版に掲載しております。お近くの店頭でぜひご覧ください。

「長い三つ編みの、背の高い女は誰?という感じでしょうかね」と宮下今日子は笑う。7月26日から放送開始のTBS系日曜劇場『VIVANT』第2シーズンで、彼女は謎めいた役で強烈な印象を与える。野田秀樹や岩松了、また井手茂太や近藤良平など様々な演出家、振付家による演劇やダンスの舞台を中心に活躍してきた宮下は、今年最大級の大作ドラマの出演で、広くその存在を知られることになる。舞台で培ったメソッドでドラマの世界で異彩を放つ彼女の半生とこれからを伺った。

「東京にしか住んだことがないんです。東京の子ですね」と宮下今日子は言う。1975年、世田谷区生まれ。生粋の東京人だ。家のすぐそばに祖父母が住んでいて、その影響は色濃かったという。

「祖父が油絵の画家で、祖母はお茶とお琴の先生をしていて。近くに住んでいたので、小学校の頃は学校の行き帰りに祖父母の家に寄って、絵を描いたりお茶やお琴を習っていました。ほかにもピアノなど習い事をたくさんしていましたね」

その中で、幼い宮下を捉えて離さなかったのがバレエだった。

「唯一自分の意思で始めて、すぐ夢中になりました。割と夢見がちな子どもだったので、バレエの時間は現実逃避というか、夢の国へ行っている感覚だったのかもしれません」

地元のバレエ教室から、小学三年生の頃には名門のバレエ教室に移る。だんだんと厳しい環境へ身を置いていった。プロにはなれないと自覚しながら、それでも辞めない。この距離の取り方が、のちの宮下今日子という表現者の核をつくっていく。

「もうさすがに無理だなと、二十歳の頃に思い切って辞めたんです。その頃はすごく辛かったので、やっと解放されてスッキリするかと思いきや、なんだか具合が悪くなっちゃって。顔中にブツブツができて、気持ちがすごく落ち込んで。悶々とした時間を過ごして、やっぱりバレエをやりたいのかも?と地元の教室に戻ってレッスンしてみたら、一気に気が晴れて。結局数ヶ月しか辞められず、趣味で続けることにしました。私にとっては、日常になくてはならないものなんだと思います」

宮下のもうひとつの原点はファッションだ。バレリーナの道を諦めて日本女子大学被服学科に進学。学生時代はさまざまなアルバイトに明け暮れ、そのなかにファッションの現場が数多くあった。西麻布のインファスでファッション週刊紙『WWD JAPAN』のアルバイトも務めている。

「電話に出たり、招待状の束を振り分けしたくらいで、あまりお役に立ってなかったのですが。電話に出るのに『WWD JAPANでございます』がうまく言えなくて。ダブダブ…ダブダブって。めちゃくちゃ難しいです(笑)。今でもたまに言ってます」

やがて宮下は伊勢丹の販売促進部でアルバイトを始める。ちょうど「解放区」(現リ・スタイル)の立ち上げの時期で、KEITA MARUYAMA、ミナ ペルホネンの皆川明など、のちに時代をつくるデザイナーの服を初めて目にした場所でもある。

「イタリア展やフランス展などの催事や、テディベア展などいろいろやりました。一番楽しかったのは、解放区のイベントで、見たことのない若いデザイナーさん達がたくさん取り上げられていて。当時伊勢丹の一階正面に大階段があって、そこでファッションショーをやったんです。テレビの『ファッション通信』が大好きな学生だった私には、大興奮のイベントでした。社員の方々とも仲が良くて、毎日が文化祭のようでした」

そして偶然にも、その頃の彼女はSHIPSと縁を結んでいた。

「『MUSEUM for SHIPS 渋谷店』の ビルの上にある会社で事務のバイトもしていたんです。夕方からの出勤が多かったので、毎回SHIPSの店内を一通り見てから行っていたんです。SHIPSと聞くと、すごくその頃を思い出します」

ファッションへの偏愛は今も変わらない。メンズ誌まで含めて雑誌はほぼ一通り目を通し、伊勢丹は「定期的に全フロアをパトロール」する。ミナ ペルホネンの皆川明や三原康裕とも親交が深い。だが、この服好きが役者・宮下今日子を導いたわけではなかった。演劇との出会いは、就職活動からの逃避という、少し後ろめたい入口から始まる。

「大学三年で就職活動を始めなきゃいけないタイミングで、野田秀樹さんのNODA・MAPのオーディションのチラシを見て。昔から舞台を観るのは好きでよく観に行っていて、チラシの束に折り込まれていたんです。就職活動をしようにも何をすればいいか思い悩んでいた時期で、一旦このオーディションを受けてみてから考えようと思って。それに私、ひびのこづえさんが大好きで、NODA・MAPに出ればこづえさんの衣装が着られると。その公演の衣装はこづえさんでは無かったのですが(笑)」

それは三十人ほどを採用する「フルキャストオーディション」で、野田秀樹曰く「間違えて」合格し、まったくの素人が舞台に立つことになった。だが、その現場は宮下にとって手ひどい洗礼となる。

「セリフはそもそも三つか四つあったんです。でも私がセリフを喋るとみんなが笑っていて。私は、その間に誰かが面白いことをやっているんだと思っていたんですけど、どうも私が下手過ぎて面白かったらしくて。でも稽古するにつれて誰も笑わなくなってきて、セリフがひとつひとつ減らされていって。最終的にはゼロになりました(笑)」

だが、その悔しさが彼女を演劇へと縛りつける。野田のあとも、オーディションを受け舞台に出演する機会を得るものの、苦戦が続く。稽古場の中に入れてもらえず、外で稽古していたこともあるという。その頃、救いの言葉をくれたのが女優で演出家の木野花だった。

「それまでずっと『ダメだダメだ』って言われていたのが、木野花さんが唯一『あんた面白いよ』って言ってくれて。『私はどうしたらいいですか』と訊いたら、とにかく場数を踏むしかない、ひたすらやるしかないと。あと『負け戦に慣れちゃいけない。ちょっとでいいから勝ち戦をしなさい』って。そこから手当たり次第、出られそうなところには何でも出ました。勝っていたかは判りませんが、負けないを肝に銘じていました」

そうして数々の舞台に立ちながら、宮下は二十代・三十代・四十代を駆け抜けた。効率も悪く、不経済だと自分でも思う。それでも彼女は舞台にこだわる。

「昔に見たお芝居で、いつまでも記憶に残っているものが幾つもあって。もう二度と見ることはできないけれども、自分の中では宝物なんですよね。その時間その場所でしか見られない、何十年経っても新鮮に思い出せるくらいの大切な体験ができるのが舞台の良さで。そういう作品ができればいいなといつも思っています。そして自分がやるのと同じくらい、観劇も好きです」

宮下今日子を語るうえで、夫である俳優・八嶋智人の存在は欠かせない。二人の出会いは、初舞台であるあのNODA・MAPのフルオーディションだった。阿部サダヲやキムラ緑子とも、この舞台で出会っている。その後、夫婦の共演はないのかと聞くと――。

「共演は嫌みたいですよ、向こうが。一緒にやると伸び伸びできないんじゃないですかね。まわりの方にも気を遣わせちゃうし。私はやってもいいと思ってますけどね(笑)」

そんな宮下に、いま大きなステージが立ち上がっている。今年最大の話題作となるドラマ『VIVANT』第2シーズンへの出演だ。

「前作は一視聴者として毎回楽しみに見ていたので、あの中に入れるの?!とものすごく嬉しかったです。どんな役でもいいと思ってましたが、台本いただいたら、えー、これ私でいいの?っていう良い役で(笑)」

なぜ宮下に白羽の矢が立ったのか。宮下の見立てはこうだ。

「大きさ、ですかね?(笑)あとは舞台の経験を見てくださったのかなと」

扮装が特徴的だが、長い三つ編みは宮下の希望で、それに合わせて衣装も一から仕立てられた。ここでも彼女の審美眼が、キャラクターの造形を動かしている。彼女の役名は樊 林杏(ハン リンシン)。

「中国語とアゼルバイジャン語と日本語と、難しいセリフがたくさんあって。しかもものすごいスピードで長回しなので、とにかくひたすら叩き込みました。皆さんご存知の通り堺雅人さんも阿部寛さんもすごいスピードで、なのに誰もNG出さなくて。私はできていたのかどうか自分ではわからないのですが」

不安を口にしながらも、宮下は撮影を心底楽しんだ。監督の福澤克雄への信頼は絶大だ。

「心から尊敬しています。指示がものすごく的確で、間の感覚も天才的。判断が早くて間違いない。堺さんも、『絶対に良く撮ってくれているから大丈夫』と仰ってましたが、カメラの方や、他のスタッフの方々もとても優秀で、良く撮ってもらっているという絶大な安心感のなか撮影してました。あの長い三つ編みとメイクと衣装が好き過ぎて、支度するたびにテンションが上がっていて。すごく助けられていると思います。本当に幸せな撮影期間でした」

映像作品への苦手意識も、この現場で覆されたという。

「俳優の間で、舞台の演技と映像の演技は違うのかっていう話になることがあって、確かに違うところはあるのですが、やっぱり根本は全然変わらないなと思いました。堺さんも阿部さんも数多くの舞台をやっていらっしゃるし、舞台上にいるような気持ちになることもありました。こんなに面白い場所があるんだなって」

いまの彼女を象徴しているのは、「人から演出されたい」という感覚だ。かつては自分の主張が強く、「生意気」だったと言うが、少し変わってきたという。

「自分の考えることって、自分の範疇を超えていなくて。そんなに遠くへは行けないんだなって気づいて。気づくのが遅いですけど(笑)。この頃は、自分のセンスより、人が見て良いと言ってくれたことのほうがいいんじゃないかと思えるようになって。委ねられるようになったかなって。素敵な演出家に会うと、本当に引き出してもらっているという感覚があるんです。自分で思いつく限りのことをやった上で、それよりもう一個先があるよねって。そこへ連れて行ってもらえる」

その「もう一個先」を、私たちはテレビのモニターで目撃することになる。宮下が以前インタビューで語った言葉がある。「人生のピークは、なるべく後ろ倒しがいい」。まだピークは来ていない、と彼女は思っている。そのロールモデルもまた、木野花にあった。

「よく一緒に温泉に行くんですけど、木野さんが六十歳になる時もふたりで温泉に行って。そこで木野さんが突然『あたし、ぼちぼち走り出すわよ』と言って。それまでだって充分走ってる印象だったので、『じゃあ今までは何だったんですか?』と訊いたら『助走よ』って(笑)。そのあと舞台も映像も確かに加速がついて、全力疾走されていて。私もそこを目指したくて。若い頃は仕事場で常にビクビクしていて、挨拶するタイミングに延々悩んでいたり、失敗するのも怖くて、楽しむ余裕なんて全くなかったんですけど、この頃はようやく『仕事が楽しい』と思えるようになってきた。やっとここからなのかなって。この先まだまだやりたいので、なるべく遅くピークを迎えられるといいなって思っています」

五十歳を迎え、宮下は俳優のみならず、モデルの仕事も増えてきた。ファッションをこよなく愛する彼女にとって、それは望外の喜びだという。

「五十歳になってこのような機会をいただけてすごく嬉しいです。若い頃は本当に自信がなくて、実際能力もなくて、尻込みしていたところもありますが、もう半分開き直りですけど、何でもやってみたいと思えるように。仕事の一つ一つがすごく楽しくなってきている感覚があって、この先も大切にやっていきたいです」

そして『VIVANT』は、その先の可能性を大きく広げるはずだ。だが宮下今日子の足取りは、あくまで地に着いている。木野花の言葉を借りるなら、彼女はまだ助走の途中にいる。

「ようやく走れるかも、というスタートラインに向かっていて。今から走り始める、走れるのかな、みたいな感じですね。まだ見上げる場所があるので、全然これからという感覚なんですよ」

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