
トレーナー
2025.05.09
半世紀の歴史で
伝説的なヒットアイテムは
SHIPSロゴのトレーナー
remember
me?
column.
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50年というSHIPSの歴史の中で伝説的なヒットアイテムはなんでしょうか? それは胸にSHIPSのロゴが入ったトレーナーです。SHIPS 銀座店の開店から数年後の79年に発売したアイテムで、入荷日になるとトレーナーを求めるお客様が店の外に列をなすほど、爆発的な人気を呼びました。
「店頭に商品がないことも多く、予約で注文を受けていました。当時は携帯電話やメールもなかったので、商品が入荷すると、お客様に直接電話していました。閉店した後に電話するので、連絡し終えるのは23時を過ぎることも。銀座店近くの通りには観光バスが停まり、バスを降りてトレーナーを買いに来る修学旅行の生徒もいましたね」とSHIPS代表取締役社長の原裕章は当時を振り返ります。
輸入衣料などを取り扱うアイメックスの代表取締役の根本伸広さんは、当時は上野・アメ横のMIURAでアルバイトをしていました。
「MIURAでもSHIPSロゴのトレーナーはすごい人気でした。アクセサリーを並べるケースの前に8色のトレーナーを積んで販売していて、お客さんがコレくださいと言うと壁面の棚に積まれた在庫から指定された色のトレーナーをお渡ししていました。あればあるだけ売れていく、そんな感じでしたね」
ご存知の方も多いと思いますが、「トレーナー」は和製英語で、命名したのはVANを創業した石津謙介氏と言われています。SHIPSではこのトレーナーを発売する前にもMIURAやMIURA & SONSでアメリカから輸入された同様のアイテム、英語で言えばスウェットシャツを販売していました。
「アメリカ製は裏地が起毛されているものが多かったのに対して、日本製のSHIPSのトレーナーは裏がパイルになっていましたね。アメリカ製のスウェットシャツは本来運動用でしたから着ていると襟や袖などが伸びてくる。まぁそれが味になるのですが、日本製のトレーナーは、襟などはピチッとしていましたし、仕立てもきれい。同じアイテムのようですが、違う文化から発生したものなのです」と輸入したスウェットシャツと日本で発展したトレーナーの違いを原裕章は解説します。
1970年代には横浜・元町界隈に集う女子大生たちのファッションを「ハマトラ」と評してブームとなりましたが、トレーナーがファッションアイテムのひとつとしてクローズアップされた時期です。前述の根本さんは「あのころ私は大学生でしたが、大学に行ったら同級生はSHIPSだけでなく、いろいろなお店のマークが入ったトレーナーを着ていました。ショップがブランド化した走りだったと思います」と、70〜80年代の流行事情を話します。
そんな時代背景もあったとは思いますが、一枚のロゴ入りのトレーナーが、SHIPSというショップ、SHIPSというブランドが広く認知されるきっかけを作った重要なアイテムであることは間違いありません。
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1979 年に発売され爆発的な人気となったトレーナーがこれです。当時の販売価格は¥4,000。型番は「2-0-26」で、「当時働いていたスタッフならこの型番をみんな覚えているんじゃないですか。自分はもちろんですけれど、三浦会長もまだ覚えているそうですよ(笑)。当時、私は渋谷のMIURA & SONSで働いていましたが、朝はまずSHIPS 銀座店に寄って、入荷したトレーナーをピックアップしてから渋谷の店に向かうことが多かったですね」と原は話します。ネイビーのボディにサックスブルーのロゴというSHIPSらしい配色で、ボタンダウンシャツの上にこのトレーナーを着て、チノパンとローファーというのが当時のSHIPSを象徴するようなスタイルでした。数年前からスポーツウェアをファッションに取り入れた「アスレジャースタイル」が話題を集めていますが、70年代からSHIPSはその流行を先取りしていたとも言えます。
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2000年代に長野県知事を務めた田中康夫氏が、一橋大学在学中に執筆し、1980年に発表した『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)。同年の第17回文藝賞を受賞した作品で、売り上げは100万部を超え、「なんクリ」と略称で呼ばれるほど、話題を集めた小説です。この作品は、東京で暮らす女子大生が主人公で、当時、話題となったブランドやレストランなどの膨大な固有名詞が散りばめられた作品でした。実はこの作品にSHIPSのトレーナーが登場しました。「私と同じ英文科で、同じテニス同好会に入っている早苗は、洗足にコーポラスを借りて一人で住んでいる。いつも、バークレーかシップスのトレーナーに、クレージュのお弁当箱みたいなバッグを持って、ミハマのペチャンコぐつに丸いボンボンの付いたハイ・ソックスをはいている」。この作品は固有名詞の多くに注釈が付いていましたが、文中のSHIPSは「銀座にあるトラッド・ショップ。─中略─ローマ字店名入りのトレーナーは、トラッドな服装をしない少年少女諸君も、しばしば後生大事に着ていることがあります」と解説されています。トレーナーの流行が多くの若者たちに浸透していたことがわかる記述です。
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79年にSHIPSのロゴ入りトレーナーが発売される前、MIURAやMIURA & SONSなどで販売していたのが、ヘルスニット、ヘインズ、フルーツ・オブ・ザ・ルームなどのアメリカから輸入されたスウェットシャツです。70年代にMIURAでアルバイトしていたアイメックスの菅原尚巳さんは「最初は(米軍の基地内売店の)PX経由で入手していたので、無地が多かったのですが、その後輸入したスウェットシャツは選択の幅も広がり、大学のロゴや校章が入ったスウェットシャツなどが他の人と被るのが嫌な人に特に人気でした」と当時販売されていたスウェットシャツについて話します。写真で紹介するのは70年代にSHIPSでも扱っていたアメリカのパニールというブランドで、アイメックスではパニールの商標を獲得し、現在商品開発を行なっています。「我々がオンタイムで体験したスウェットシャツを再現したかったのです。年を重ねたお客様にはパニールの名前を思い出すきっかけに、若いお客様には初めて聞くブランドとして興味を持ってもらえればと思い商標を取りました」と菅原さんは話します。70年代のMIURAでも扱っていたスウェットシャツ、今後の商品展開が楽しみです。