メイド・イン・USA
2025.03.13
メイド・イン・USAの
“本物”が隙間なく並ぶ、
そこはアメリカでした。
remember
me?
column.
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SHIPSの前身、ミウラとMIURA & SONSは、アメリカ生まれのカジュアル衣料を中心にした品揃えで、棚を埋め尽くすように積まれたネルシャツ、ジーンズやTシャツなど、圧倒的な商品量が特徴の店でした。
ミウラの屋号で販売を開始した1970年、当時は1ドル=360円の時代です。輸入品は日本人にとってはまだまだ高嶺の花で、正式に輸入されているアメリカ製の服も多くはありませんでした。ではミウラではどうやってこれらの商品を集めていたのでしょうか。
「アメ横にもお菓子とか化粧品、ジッポーやレイバンなどはある程度並んでいましたが、洋服はなかなか売っていませんでした。その中で、三浦会長はアメリカから直接商品を輸入して販売することを始めました。そんな店はウチだけだったと思いますよ」
こう話すのは18歳からミウラでアルバイトとして働き、現在はSHIPSでシニアアドバイザーを務める雨宮教夫です。
「PXと呼ばれる米軍基地内にある売店に出入りできる人にお願いして販売されている服を買ってきてもらったり、米軍基地がある横須賀の店で米兵向けのシャンブレーシャツやセーラーパンツを仕入れたりしていましたね。湘南にアメリカからのTシャツを売っている店がありまして、そこでもTシャツを仕入れして、自分たちでバックプリントをしたり、日本から海外に向けた服を並べた原宿のとある店で買ってきたものもありました」
容易に手に入らないものだからなおさら欲しくなる。スタッフ総出で八方手を尽くして商品を入手していたのです。
読売新聞社がアメリカ製品をカタログ化したムック本『Made in U.S.A. Catalog』を出版するのが1975年。76年にはアメリカは建国200周年=バイセンテニアルを迎え、アメリカ製でなおかつ本物志向のアイテムが雑誌等のメディアで盛んに取り上げられるようになりました。そんな社会状況の中、渋谷のMIURA & SONSで爆発的に売れたのがアメリカ製のレッドウィングのワークブーツです。
「レッドウィングのブーツは3万円前後だったと記憶しています。日本のメーカーが作っていたブーツは1万円以下だったと思いますから、そうとう高かったですね。道玄坂に今でもある喜楽のラーメンが250円という時代でしたからねぇ」と雨宮は笑います。
当時ミウラとMIURA & SONSが思い描いたのは、アメリカでも西海岸、ロサンゼルスやサンフランシスコなどがあるカリフォルニアです。強い日差しを浴びてサーフィンやスケートボードを楽しみ、バックパックひとつで自然を満喫しながら旅ができる場所。そんな豊かで、自由で、次々と新しいカルチャーが生まれるアメリカに憧れたのです。店に並ぶ服や靴の向こうに“夢のカリフォルニア”が見えたのかもしれません。
remember me?
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上が上野・アメ横にあったミウラ。たった1坪半の店には、床から天井近くまで、ネルシャツやTシャツ、スウェットシャツなどがきれいに畳まれてびっしりと積まれていました。そんな小さな店が伝説的な売り上げを作ったのです。それが、下の渋谷・道玄坂にあったMIURA & SONSをオープンするきっかけとなりました。MIURA & SONSではミウラ同様、アメリカ製のワークシャツやジーンズなどの品揃えに加えて、革製の靴が充実していました。レッドウィングのワークブーツ以外ではクラークスのデザートブーツやワラビー、片岡義男のエッセイにも登場するフライ(FRYE)のリングブーツが当時は爆発的な人気でした。
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上野・アメ横のミウラ、渋谷のMIURA & SONS、1977年にオープンしたSHIPS 銀座店でも人気のアイテムだったレインスプーナー。南カリフォルニアでメンズショップを営んでいたレイン・マッカラー氏がハワイに移住、ワイキキでサーフトランクスを展開していたルース・スプーナー氏と共に1956年に創業したブランドです。SHIPSの50周年記念アイテムとして、ブランドのシンボルとも言える「ラハイナセーラー」柄のボタンダウンのプルオーバーシャツが希少なハワイ製で発売されます。「日本でこのシャツをいちばん最初に販売したのはミウラだったと思います。75年か、76年に当時の社長夫妻が店に来たと記憶しています」と雨宮は当時のことを話します。
Reyn Spooner ¥28,600
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現在、SHIPSでシニアアドバイザーを務める雨宮の私物で、どれもミウラやMIURA & SONSで扱っていたものです。「A-2」タイプのレザージャケットはアヴィレックス製。フランスのデニムブランド、リベルトのジーンズはカスタマイズされ、脇にMIURA & SONSのロゴが縫い付けられています。赤のウエスタンシャツはUFO製です。70年代に流行ったブランドで、当時はオーバーオールが人気でした。左の茶キャンプモカシンはL.L.ビーン製です。SHIPSでは早くからアメリカのアウトドアの老舗L.L.ビーンのアイテムも扱っていました。
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ミウラやMIURA & SONSが誕生した1970年代はパソコンもスマホもなかった時代です。多くの人は映画や雑誌などからファッションの情報を得ていました。1975年に読売新聞社から発行された『Made in U.S.A. catalog』。アメリカ製品がアメリカのカタログのように一挙に掲載されたムック本で、ファッションは一気にアメリカ製で、しかも本物を追求する流れになり、翌年には続編も発行されました。「この2冊と同じ時期に出された『SKI-LIFE』という本も当時、見て参考にした記憶があります。MIURA & SONSでは、ザ・ノース・フェイスやウールリッチ、キャンプ7、エディー・バウアーなどのアウトドアウェアもブーム前から扱っていました」と雨宮は話します。