Spectators Evergreen Library vol.17 Spectators Evergreen Library vol.17

Spectators Evergreen Library vol.17

SHIPS MAG読者のみなさん、こんにちは。
『スペクテイター』編集部の青野です。
秋です。読書の季節です。
読書といえば、スペクテイター最新号「北山耕平」特集!
もう、お手にとっていただけましたか?
まだの人も、もう読んでくれた人も、より楽しんでいただけるように、今回は北山耕平さんにまつわるキーワードを集めてみました。
ここに出ている言葉の中にピンと感じるものがあったら、本誌最新号を読んでみてください。
偉大な編集者・作家・ストーリーテラーの北山耕平さんが書き手として活動を開始された75年から最近までに雑誌に発表された原稿のなかから、読み継がれるべき傑作を集めて編んだ総力特集です。
秋の夜長の読書リストに、ぜひ!

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文中★は「スペクテイター」38号に掲載のある、
北山耕平さんの原稿のタイトルです。
詳しくは本誌を!

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America Indian
欧州からの白人が入植する以前からアメリカ大陸に暮らしていた人々。ネイティブ・アメリカン、ネイティブ・ピープルとも言われる
Anthology Kohei Kitayama
スペクテイター最新号「北山耕平」特集(37号・ 2016年10月7日発売)のサブタイトル。北山耕平さんが過去に雑誌などに発表した原稿から28本の傑作を選び、再録掲載をおこなった
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Beatles
1960年に活動開始、音楽の歴史を塗りかえたイギリスのロックバンド。『宝島』1975年1月号に初めて北山耕平というペンネームで書いた原稿「ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ」★はサリンジャーとビートルズを結びつけて書かれた世代論の傑作
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C + F Communications
アメリカ西海岸のニューエイジ思想を伝えようと活動していた出版編集グループ。現在も活動中。同グループが開講していた編集塾で北山さんは、松岡正剛、岡留安則らと共に講師をつとめたことがある
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City Boy
雑誌「ポパイ」などでおなじみの言葉だが、北山さんが75年に『宝島』で特集したシティ・ボーイは単に「街に暮らす男子」ではなく、暮らしのなかに直接性を取り戻す方法を模索する姿勢を意味していた。「特集シティ・ボーイ」★
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Crawdaddy!
1966年、ポール・ウィリアムスによりサンフランシスコで創刊されたロック専門誌。ロック評論のあたらしい地平を切り開いた世界初の雑誌として高く評価され、一部が『ニュー・ミュージックマガジン』で翻訳された。ポール・ウィリアムスは自動車事故で脳挫傷を受け、2013年死去
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Desert
1977年、アメリに移住した北山さんは、翌年カリフォルニア州デスバレーを訪れたのをきっかけに砂漠の魅力に惹かれ、ネバダやアリゾナの砂漠へ足繁く通うようになる。文明の入ることを拒絶した、安らぎと静けさの広がる偉大な空間。「私のカリフォルニア日記」★
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Don Juan
アメリカとメキシコの国境付近の砂漠に暮らしていたといわれるヤキ族の呪術師。ドン・ファンのもとで修行をしたアメリカの作家カルロス・カスタネダは『呪術師と私』をはじめとする複数の書著でドン・ファンの教えについて描き、70年代のスピリチュアル/ニューエイジ運動に影響を与えた
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Eagles
1971年にデビューした西海岸を象徴するバンド。代表曲に「ホテル・カリフォルニア」「テイク・イット・イージー」などがある。北山さんもお気に入りだった 。「暮れかけた迷いの時代を照らすイーグルスの光」★
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Foxfire
北米アパラチア地方の高校の生徒が、体験学習の一環としてお年寄りに昔の暮らしや生活の知恵について聞き、それを複数の本にした。シンプルな田舎暮らしのノウハウは70年代になって田舎暮らしに憧れるヒッピーたちから人気を集めた
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Gay Talease
ニュー・ジャーナリズムと呼ばれるノンフィクションの世界を代表する書き手の一人。ニューヨークに暮らす普通の人々や街の様子を微細に描写した『名も無き人々の街』という作品が好きだと北山さんは語ってくれた
Gonzo Journalism
ニュージャーナリズムから派生したとされる、もうひとつの流れ。ゴンゾーとは「チンピラ、くず」のような意味。ハンター・S・トンプソンのムチャクチャな取材スタイルを指す
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George Tani
1900年生まれの流行作家。本名=長谷川海太郎。牧逸馬、林不忘、谷譲次と3つのペンネームを使い分け、さまざまな作品を書いた。北山さんは『宝島』初期の号に「踊る大陸」と題して谷譲次の足跡をたどるルポを本名(=小泉徹名義)で寄稿している。「踊る大陸はどこにあるのか?」★
GORO
1974年に小学館から創刊された、男性向け隔週刊ヴィジュアル雑誌。北山さんは、同誌の編集だった島本氏に誘われて皇居前広場でフリスビーを投げるというアイデアを敢行。その顛末を同誌に「天皇陛下のロックンロール」★と題して寄稿している
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HO!
ネイティブ・アメリカンの常套句。「やぁ!」「YES!」のような意味で文の頭や末尾に付してつかわれることが多い
Head
HEADは「頭(あたま)」を部分的に指し示す単語ではなく、その頭をてっぺんに搭載している人間のこと。ロックに魅せられた若者たちの呼称として、1960年代中盤から70年代にかけて用いられたことば。「宝島」編集長時代の北山さんの原稿には「ヘッドの共同体」という言葉がよく出てくる
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Image Super Market
雑誌『写楽』に掲載されていた16ページのヴィジュアルコラム連載。北山さんは当コーナーの編集として創刊から係わり、約5年に渡って原稿執筆を担当した。本誌37号に、当時デスクをつとめた島本脩二の回想記と編集者・新島轍のインタビューを掲載★
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Jinichi Uekusa
明治生まれのマガジンライター。独自のノリの文章で、モダンジャズ、ミステリー、欧米現代小説などをやさしく紹介してくれた
J.D. Salinger
1951年にアメリカで発売され、若者の共感を呼んだ青春小説の古典『ライ麦畑でつかまえて』の著者。「ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ」★
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Muroken
室矢憲治。ロック評論家として60年代末から『ニューミュージック・マガジン』『ミュージックレター』などの雑誌新聞に寄稿。ポール・ウィリアムズ『ニューヨーク・ブルース』『アウトロー・ブルース』の翻訳者
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Lenny Bruce
1960年代のアメリカを象徴する反体制コメディアンとして一世を風靡。64年、ニューヨークのクラブ舞台で四文字言葉を多用したとされ、わいせつ容疑で逮捕。アレン・ギンズバーグ、ボブ・ディラン、ポール・ニューマンら文化人の抗議にもかかわらず州裁判所で有罪に。その後法廷闘争を挑むが破産。2年後、モルヒネ中毒になり39歳で死亡。邦訳本に『やつらを喋り倒せ!ーレニー・ブルース自伝』(藤本和子訳)。「れにいぶるうす殉教録」★
Love
北山編集長時代の『宝島』に、たびたび登場した言葉。ALL YOU NEED IS LOVE!
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Mystic Travellers Guidebook
1986年に北山さんが編集して笠倉出版から刊行された、LPジャケットサイズの本のシリーズ・タイトル。写真家・迫水正一が録りおろした写真をダイナミックに見開き配置することで、自然の不思議な魅力を伝えてみせた。ハワイ篇とアメリカ西国篇がある
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Native Mind
1988年、地湧社より発刊された描き下ろしの本。北山さんはアメリカ滞在中に、カーリンという街に住むネイティブ・アメリカンのメディスンマンのローリング・サンダーと出会い、その後の人生に大きな変化が訪れることになった
New Journalism
60年代のアメリカで起こった、ジャーナリズムの新しいスタイル。北山さんはこれを活字の世界での価値転換運動のひとつであり、小説とジャーナリズムのあいだにかけられた橋であると表現した。「ニュー・ジャーナリズムとは音楽の世界でいえば強烈なロックなのだ!」★
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Outside
『ローリング・ストーン』の兄弟誌。バックパッキングムーヴメント、ウイルダネスキャンピングなどアウトドア流行の高まりを受けて、ヤン・ウエナーが創刊。都市生活者、自然愛好者が対象読者
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Popeye
マガジンハウスから1976年に創刊された雑誌。『宝島』4代目編集長を引退した北山さんは『ポパイ』にスタッフライターとして創刊号から参加。当時住んでいたロサンジェルスから原稿を送稿していた。「Knock on POPEYE ポパイ編集部のドアを開けてみた」★
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Quest
探索、探求。真理を求めておこなう求道的な旅。「ビジョン・クエストはなんためのものか インディアンの儀式が現代に再生したわけ」★
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Raymond Mungo
1946年生まれのカナダ人。『就職しないで生きるには』著者。同書は70年前後のコミューン運動から日常生活に復帰していく経過を描き、晶文社から翻訳出版されてロングセラーに。『宝島』に寄稿したこともあった
Rock
60年代に若者のあいだで主流の音楽だったジャズは、70年代になるとロックにとってかわられた。「ロックとは」★
Rolling Stone
カリフォルニア大学バークレー校を中退したヤン・ウエナーが、音楽評論家ラルフ・グリーソンらと1967年11月に創刊。(創刊号は4万部発行、実売6千部)最新のロックミュージックの話題を中心に、読みごたえあるロングインタビュー、ファンの側に立ったリアルな新譜案内、本格的なルポルタージュなどを掲載。若者文化に欠かせない雑誌となる。「ニュー・ジャーナリズムとは音楽の世界でいえば強烈なロックなのだ!」★
Rolling Thunder
北山さんが北米滞在中に出会ったネイティブ・アメリカンのメディスンマン。先住部族の歴史と文化を若者たちに語って伝え、ボブ・ディランなどにも影響を与えた。「北山耕平の魂の履歴書 メディスンマンの使者が語る「在日縄文人」の視点 文・松永憲生」★
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Shagaku
小学館が1980年に創刊した写真雑誌。「音楽を聴くように写真を楽しもう」というのが当時の宣伝コピー。『日本国憲法』を編集した島本脩二が初期の同誌編集部にデスクとして在籍。北山さんと『イメージ・スーパー・マーケット』などのページを担当していた
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Sizen no Lesson
1986年に角川書店から出版された北山さんの著書。シンプルで自然な暮らしを送るための心構えや知恵を、わかりやすく短い言葉でつたえている。ちくま文庫から文庫化され、現在も版を重ねている
Shonan
長野さんが代表の会社FLY COMMUNICATIONSが企画編集を手がけ1983年に冬樹社から出版された本。1949年、神奈川県の辻堂で生まれた北山さんは5歳までを彼の地で過ごした
Sunshine Paper
雑誌『Be-Pal』の雑誌内新聞。北山さんは同誌の創刊から編集者として参加した
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Tom Wolfe
1931年生まれ。ニュージャーナリズムを提唱した代表的イデオローグ。69年創刊の『ニューヨーク』誌編集長クレイ・フェルカーと組んでウルフは同誌スタッフライター/オルガナイザーとなり、『ミー・ディケイド』『ラディカル・シック』など多くの流行語を生み、グロリア・スタイナム、アダム・スミス、ゲイル・シーヒ?、ジョーン・ディディオン、グレゴリー・ダンなど、さまざまな個性的な書き手を同誌が生むのに手を貸した。「ニュー・ジャーナリズムとは音楽の世界でいえば強烈なロックなのだ!」★
Takarajima
1973年、大判誌『ワンダーランド』の改題誌として再創刊された雑誌。74年から小型ペーパーバックサイズの月刊誌という形態に変わり、本邦初のカウンターカルチャーマガジンとして新創刊された。編集スタッフは室矢憲治、片岡義男、高平哲郎、菅野彰子、北山耕平(小泉徹)など
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Utah
アメリカ西部の州。アメリカへ移住した北山さんが20世紀最後の日蝕を見るために友人と目指したのがユタ州の砂漠で、その途中で立ち寄った街でローリング・サンダーとの運命の出会いを果たすことになる
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Vow
「ヴォイス・オブ・ワンダーランド」の略称で、無署名の細かいコラムを集めた雑誌内月刊新聞ページ。一時期「101本」と改題し、毎号101本のニュース記事を通し番号とともに掲載した時期も。初期の頃の編集を北山さんが担当していた
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Whole Earth Caltalog
スチュワート・ブランドが1968年に個人出版した雑誌形態の大きな本。ヒッピーたちの生活のために必要な本、道具をまとめて紹介し、71年『ラスト・ホール・アース・カタログ』と改名されダブルディ社により書店流通されて全米ベストセラーに。
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Wonderland
晶文社から1973年に創刊されたタブロイド新聞サイズのB4版雑誌。ワンダーランド社(のちJICC出版局、現在の宝島社)が編集と広告を、晶文社が発売を担当。北山さんは当時、片岡義男の仕事の手伝いをしていた関係から『ワンダーランド』創刊時に声をかけられ、大学卒業後、最年少の編集スタッフとして入社する
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Yoshio Kataoka
『ワンダーランド』?初期『宝島』編集長で、現在作家。北山さんは大学生だった頃、片岡義男のアシスタントを務めていたことがあった。片岡は当時『ぼくはプレスリーが大好き』を発表するなどロック評論を若者雑誌に発表し、アメリカ・カウンターカルチャーに関する気鋭の評論家だった。北山さんは片岡から原稿の書き方などたくさんのことを教わったと、自叙伝『雲のごとくリアルに』で書いている
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Zentoshi Catalog
『ホール・アース・カタログ』からインスパイアーされて命名・刊行された『宝島』の特集。思想、化学、技術、風俗、都市生活者にとって役に立つであろう必要な知恵を、あらゆるジャンルから編集部の視点で紹介し、誌面への再構築を試みている。「Introduction : Whole City Catalog」★
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スペクテイター37号
特集:「北山耕平」
北山耕平さんが過去に雑誌に発表した原稿を中心に、その偉大な仕事を振り返った特集

2016年10月10日
定価952円(税別
発行=有限会社エディトリアル・デパートメント
http://www.spectatorweb.com/

【主な記事】
■ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ
■今もし二十四時間ロックンロールを流しているような放送局があれば、もう少し日本は良くなるだろうと確信している??」
■ロックとは
■れにいぶるうす殉教録 (MARTYROLOGIUM) 1927 - 1966
■ジェイルハウス日本の住人に完全なる自由はない
■ニュー・ジャーナリズムとは音楽の世界でいえば強烈なロックなのだ! ■天皇陛下のロックン・ロール
■インタヴュー泉谷しげる おれは?熱い台風?と呼ばれるstreet rock'n' rollerなのだ。
■Knock on POPEYE ポパイ編集部のドアを開けてみた
■こうしてぼくは法廷に立った ルポ・マリワナ裁判
■たったひとりの戦争 わたしたちの生活の基盤をゆすぶる一枚の老マタギの写真
■もうひとつの激動の六〇年代は?
■チャンドラーにニュー・リアリズムを感じて…
■あるシャーマンとの出会い 私は彼から何を聞いたのか??
■ビジョン・クエストはなんのためのものか インディアンの儀式が現代に再生したわけ
■日本から一切の差別をなくす最後の方法
■「イメージ・スーパー・マーケット」元担当編集者氏が語る北山耕平/新島徹インタビュー
■寄稿=細川廣次/島本脩二/浅香良太/野村敏晴/村上清

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青野利光| TOSHIMITSU AONO

1967年生まれ。エディトリアル・デパートメント代表。大学卒業後2年間の商社勤務を経て、学生時代から制作に関わっていたカルチャーマガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフとなる。1999年に『スペクテイター』を創刊。2000年、新会社を設立して同誌の編集・発行人となる。2011年からは活動の拠点を長野市へ移し、出版編集活動を継続中。