Spectators Evergreen Library vol.15 緑色世代の読書案内  対談:コペ転とは何か? Spectators Evergreen Library vol.15 緑色世代の読書案内  対談:コペ転とは何か?

Spectators Evergreen Library vol.15 緑色世代の読書案内
対談:コペ転とは何か?

SHIPS MAG読者のみなさん、こんにちは。
『スペクテイター』編集部の青野です。
唐突ですが「コペ転」という言葉を知っていますか?
おそらく、ほとんどの方は初めて聞くに違いありません。
1970年代に日本の若者たちのあいだで流行した言葉で、やさしく言えば「CHANGE」、むずかしくいえば「思想転換のとき」を示した、時代のキーワードです。それがスペクテイターと、どう関係あるのか? 話せば長?くなりそうなので、まずは「コペ転」をめぐる対談をご覧ください。

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★「コペ転」について話をしたいと思います。もとは17世紀の哲学者イマヌエル・カント(1724 - 1804)が、「コペルニクスの地動説」に因んで考案した言葉(コペルニクス的転回)だそうですが、日本では1970年代頃に「コペ転」と省略する言い方が若者のあいだで流行ったそうですね。

▲60年代後半、哲学が世界的に大流行したんです。(ジャン=ポール・)サルトルがベストセラーになったり、カントが読まれたり。
日本で哲学書のブームの最初は、戦後まもなく、サルトルの哲学書がよく売れたことだと良くいわれますね。「現代日本思想大系」が〈筑摩書房〉から発刊されたのも同じ1960年代でした。
おそらくその流れを受けて、こむずかしい思想や哲学の本が当時の学生に売れていました。60年代に出た本では〈現代思潮社〉、〈みすず書房〉の出版物などもそうで、それぞれ「黒難解」「白難解」といわれていたとか(→装丁が黒っぽい、白っぽいという意味)。
そういう本を読んで、大学生どうしが話し合うという知的環境が、60年代半ばから後半にかけて存在していたようです。

★なぜ、その時代に哲学が流行っていたんでしょう。

▲フランスで実存主義というのが戦後生まれてきて、サルトルとか(シモーヌ・ド・)ボーヴォアールという哲学者が60年代初頭にフランスから発生して世界的に注目を集めるようになったんです。日本でも「サルトル佐助」みたいにクダらないギャグがとばされるくらい流行した。当時の学生みんなが哲学を理解していたのかどうかは知りませんけど。

★60年代というと世界的にも学生運動が盛んだった時代ですよね。パリの道路の敷石を剥がして投げて体制側に物申したり、アメリカでもカウンターカルチャーが花開いた時期と言われている。世界大戦が終わって、学問や言論が活気を取り戻した時代という捉え方で良いのでしょうかね。学生が自由について語り始めたというか。

▲1945年が終戦なので65年というと、ちょうど20年後ですよね。だいたい、どんな出来事でも15年から20年たつと、ひと通り終りを迎えるんですよ。敗戦のショックもやっと癒えるようになった。

★なるほど、それまではショックを引きずっていたわけですね。

▲敗戦のトラウマを。

★戦争の呪縛から解き放たれて、いろんな自由な表現が生まれはじめた。文学者や音楽家も。

▲その中からフランス実存主義哲学も出てきた。1950年頃かな。タートルネックを着て喫茶店でコーヒー飲んで。

★サンジェルマン・デ・プレのカフェとかで?

▲そう。当時流行ったジャズをBGM に哲学を語るみたいな、そういうムーヴメントがあったらしいんですよね。戦争が終わって15年ほど経って、多少トラウマは引きずっているけど、それ以外のことを考える余裕が出てきたから難しいことを考えるようになったと。非常に雑に言うとそういう感じ。それが輸入文化として日本にも入ってきたと。もともと日本にも哲学はあったけど、フランスの哲学がナウい! いみたいな感じで輸入されたんだと思います。

▲それで哲学書が読まれるようになったわけですね。

★そういうのを読むのがナウいみたいなムードがあったんです。それで当時の高校生も「コペ転がさ?」というような言い方をしていたと思いますよ。鶴見俊輔の本が読まれたり、思想がナウいみたいな空気があったようです。

▲哲学はナウいんだぞ、と!

★60年代から70年代にかけて「新宿文化」という言葉がまだ意味をもっていた頃、風月堂と呼ばれる喫茶店が新宿東口にあって、個性豊かなヒッピーやフーテンが、たむろしていたそうです。なかには高級なロングコートを身にまとう女性もいて、難解な哲学書をこれ見よがしに小脇にかかえて座っていたりした。その本を読んだかどうか、理解できたかどうかは、実際どうでもいい話だった。彼女にとってその本はファッションの一部であり、知的なインパクトを周囲に与えていた。たとえば彼女のそんな行為が「カッコいいこと」と映るような時代だったわけです。

★なるほど。じゃあ、70年代に流行ったコペ転も、哲学ブームがはじまりだったということですかね。

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▲はじめてコペ転という言葉に触れたのは、漫画家・長谷川法世の作品「博多っ子純情」(漫画アクション連載)の中で、中学生の六平(主人公)たちが、「お前、コペ転したとうや?」と、口々に話していた場面からの連想です。コペ転をすると、世の中ががらりと変わって見えるという意味で使われていました。ここでは「セックス初体験=コペ転」とつかわれていて、流行語になった記憶がありますね。

★1970年代にカリスマ的な人気を誇っていたミュージシャンの岡林信康さんが「コペルニクス的転回のススメ」?という曲を歌っていますよね。この曲のヒットがきっかけで「コペ転」というコトバが70年代の日本に定着したのではないかと推測していたのですが、哲学ブームが最初にあったと。ところで岡林さんがデビューしたのは60年代の終わりくらいですよね。

▲確か、デビューは67年ですね。

★日本を代表するフォークシンガーですよね。68年にビクターから「山谷ブルース」?でデビュー。その3年後に失踪して農耕生活をはじめたり、センセーショナルな活動が伝説となっている。

▲京都の田舎に移り住んだのは72年頃かな。

★歌詞の内容が過激で放送禁止になった曲も多いと聞いています。「くそくらえ節」?なんかタイトルを変えられたりしたとか。

▲「くそくらえ節」は警察官のことを馬鹿にしたからではないですかね。その頃の岡林はスーパースターですよ。

★どんなふうにして出てきたんですか。

▲最初はギター1本で、タートルネックのセーターを着て教会で自分の歌を歌い始めたそうです。関西フォークと呼ばれていて、そういう界隈から出てきたんですよね。岡林さんも同志社大学だと思うんですけど、同志社とか各大学にフォークソング研究会というのがあって。

★最初からプロテスト・ソングを歌っていた?

▲よく知りませんが、多分そうじゃないでしょうか。岡林さんはボブ・ディランが好きで、ディランの曲のコピーをしていたと思いますよ。日本語にしたらどんな表現ができるかということをずっと考えていて、その中から「私たちの望むものは」?とか「コペルニクス的転回のすすめ」とかいった名曲が生まれてきたんです。

★好きな曲があるって言っていましたね。

▲楽曲としては「自由への長い旅」?とか「26番目の秋」。素晴らしいです。

★どんな曲ですか?

▲フォークですね。綺麗なフォーク。

★ディランっぽいというよりは?

▲岡林さんらしさが出てきた頃だと思いますね。

★岡林さんの曲は「おまわりさんに捧げる歌」とか「NHKの歌」とか、とにかく権力に噛み付いて、アジテーションする内容が多い。その曲は、そうじゃない感じ?

▲そうじゃないものもあります。「自由への長い旅」は、ちょっとそれを引きずっているけれど、「26番目の秋」は政治的なものを脱色したような感じがします。

★「コペルニクス的転回のすすめ」はシングル盤「だからここに来た」?のB面に収録された。それが発表された1970年は岡林の黄金期といえるでしょうかね。

▲70年の中津川ジャンボリーにピークみたいなものを見るとしたら、それが終わった頃。もちろん今でもライブを演られているんですけど。

★実は「コペルニクス的転回のすすめ」はライブ音源しか聞いたことがないんですよ。ハッピーエンドがバックで演奏していて、曲もめちゃくちゃカッコいいんですけど。

▲リイシューされたライブアルバムのなかに入っているようですね。ライブとして演っていた曲で、いわゆる正規アルバムには入っていない。

★ということは、「コペ転?」は一般大衆のあいだで大流行した曲じゃないんですね。

▲そうですね。

★ということはつまり、70年代の若者のあいだで流行した「コペ転」という言葉は、岡林が「コペ転」として歌う前から世の中に浸透していたと言えると。

▲そうだと思います。語呂が良いから、みんな言いたがるんじゃないですかね。当時、朝日新聞を馬鹿にして「ブル新(ブルジョワジー新聞)」と言ったりしていたみたいに。今の人も言葉を縮めるけど、ちょっとポップになるというか。それで、みんな自分の都合の良いことに使いはじめる。たとえば「ルームシェアが流行ってるらしいけど、それってコペ転でしょー」とか(笑)。

★「給料が少ないからコペ転するぞ!」とか「この危機的状況をコペ転的な発想でのり切ろう!」とか。

▲コペルニクスの天動説も、お星様が自分たちの周りを回っていると思っていたら、実は地球が回っていた! というように常識がひっくり返るみたいな意味ですね。

★前提が変わると、それまで当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなりますから。

▲これまでの状況が変わるのを、コペ転という言葉をつかって説明したがるんじゃないですか。コペ転の由来とか、使われ方に関しては知らなかった。岡林さんがつくったのかとか思っていた。余談だけど、岡林さんはキャッチフレーズをつくるのが上手いんです。コピーライターみたいな人なんです。

★たとえば?

▲『見る前に跳べ』というアルバム・タイトルとか。大江健三郎の著書のパクリなんだけど。ほかにも「ゆきどまりのどっちらけ」とか「申し訳ないが気分がいい」とか、ワンフレーズポリティクスという感じで上手いんですよ。60年代から70年代にかけての時期は、ちょっと神がかっていたところがあると思います。今ではディスクユニオンが岡林さんの音源を全て買い取ったらしくて、過去の音源がリイシューされていますね。団塊の世代に向けた商品だと思いますが。

★40年前に流行った曲だけど、いま聞いてもかっこいいと思います。

▲いいですよね。「おまわりさんに捧げる歌」とかは、ちょっとクドいけど、ソングライターとしては素晴らしいですよね。『金色のライオン』というアルバムは松本隆がプロデュースしているんです。松本隆をはじめ、鈴木慶一、後藤次利、矢野誠といったメンバーがバックを固めていて。

★曲もかっこいいし、メッセージも強烈。

▲当時の若者は岡林の言葉をキリストの言葉みたいに受け止め、崇めていたんですよ。岡林さん自身はそれが嫌だったらしい。田舎に行ったのも、それがひとつの理由だと思いますが。

★岡林さんそのものがコペ転的な人生を歩んでいる方と言えるかも。ともあれ、スペクテイターのコペ転特集にもコペ転的な生き方を送っている人のロングインタビューが載っているので、ぜひ手にとってみて欲しいですね。

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「コペルニクス的転回のススメ」

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「山谷ブルース」

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「くそくらえ節」

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「私たちの望むものは」

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「自由への長い旅」

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「だからここに来た」

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スペクテイター36号
特集:「コペ転」

一般常識とされていることを強く疑い、人生や仕事の矛先をコペルニクスのごとく180℃転回させた7人の無名の人々。その類まれなるヒストリー&ライフに耳を傾けてみてください。読み終わった頃には、みなさんの頭の中もコペテンしているかも?

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挿画・武藤良子

発売:2016年5月31日
定価952円(税別)・B5版・256ページ
発行=有限会社エディトリアル・デパートメント
http://www.spectatorweb.com/