Spectators Evergreen Library vol.16  北山耕平さんがいつも僕らの先生だった Spectators Evergreen Library vol.16  北山耕平さんがいつも僕らの先生だった

Spectators Evergreen Library vol.16
北山耕平さんがいつも僕らの先生だった

雑誌『写楽』コラム連載「イメージ・スーパー・マーケット」をめぐる
個人的な思い出と、僕が雑誌をつくりはじめた理由

北山耕平さんが、いつも僕らの先生だった。
北山さんが過去に雑誌に発表していた記事に刺激を受けて、僕もいつかはこんな記事がつくれる編集者になろうと心に決めていた。

1980年のはじめ頃、まだ小学校の高学年だった僕の主な情報源はラジオの深夜放送と雑誌だった。インターネットも携帯電話もCDさえも無かったアナログな時代。
そんな時代に雑誌というアナログなメディアを通じて心に刺さるメッセージを発信していたのが北山耕平さんだった。
北山耕平さんの手がけた幾つかの雑誌の記事は、どれも最高にイカしてた。それは何年経っても変わらないことで、大学生になっても大人になっても僕は北山さんの記事に刺激を受け、少なからず影響を受けてきた。
だから僕がいまつくっている雑誌『スペクテイター』の次号(37号・2016年10月発売号)で丸ごと一冊・北山耕平特集を組むということは、とても自然なことなのだ。

僕が北山さんの仕事にはじめて触れたときの話をさせて欲しい。
1980年4月、街の書店の棚にそれまで見たことのないタイプの雑誌が現れた。当時人気だった女優の森下愛子が下着姿でこっちを見ている写真が全面に配置され、その上に赤い文字で誌名が記されていた。
小学館が発行元となって創刊された新しいタイプのビジュアル月刊誌。『写楽』と書いて「しゃがく」と読ませるその雑誌のタイトルの上には小さな文字で「Enjoy! Visual Life Magazine」と書かれていた。判型は大ぶりなA4判。定価は390円。写真家・篠山紀信による撮りおろしのグラビア写真が巻頭ページを飾り、主にドキュメンタリータイプの写真と硬軟さまざまなタイプの記事によって構成された、それは全くあたらしいタイプの写真ジャーナリズムの雑誌だった。

写真の雑誌といっても『写楽』は『アサヒカメラ』や『カメラ毎日』のような大手新聞社系の出版社から出ていたカメラ雑誌とも、銀行や歯医者の待合室に置かれている『アサヒグラフ』のような品行方正なグラフ誌とも違う、ある種独特なオーラを放っている雑誌だった。政治経済、音楽、芸能、アフリカの大自然からミクロの世界まで。カメラで撮影できるものなら何でも撮影して、その本質に肉薄しようという気概にあふれていた。

音楽にまつわる記事も多かった。YMO、矢沢永吉、ローリング・ストーン、ザ・モッズ、ビートルズ…。「音を楽しむように写真を楽しもう」がコンセプトで、それがそのまま「しゃがく」という詩名の由来にもなっていた。巻末には毎号編集部オススメのレコードが紹介され、「聞きながら本誌を見てください」と書かれていた。なんだか不思議な雑誌だった。
ありとあらゆる事象をフィルムカメラでガシガシと切り取って誌面へと落とし込んでいく貪欲さが、この雑誌の魅力だった。写真のドキュメンタリー性や芸術的価値を追求した編集方針は当時の若者たちの支持を受け、最盛期の発行部数は二十万部を越えることもあったという。

photo

そんな「写楽」のページの真ん中に毎号16ページほどのボリュームで連載されていたのが「イメージ・スーパー・マーケット」という雑誌内新聞のページだった。
雑誌や新聞や広告など世の中に発表された、ありとあらゆるビジュアル・イメージ(画像・写真)のなかから編集部が独自の視点で選び集めたイメージと短いコラム原稿を組み合わせたニュース・ページで、国際ネタや政治ネタ、事件、音楽、社会から当時流行していたビニ本のレビューのようなくだらないネタまで、取り上げるジャンルは多岐にわたっていた。
ちょうど中学へ進学するかしないかという微妙な年頃で、雑誌を読むのを何よりも楽しみにしていた僕は、小遣いを貯めて親に内緒で買っていた『写楽』のなかでも、このコーナーをいちばん楽しみにしていた。

photo

この連載ページを楽しみにしていたのはエロの記事だけが目的ではなく、他の雑誌にはない、感情を強く揺さぶられる何かがそこにあったからだ。
ページを開いて最初に目に飛び込んでくるのは写真と同じくらいインパクトのあるコラムのタイトル。(ここに並んでいる短冊状の文字が、その一部だ)
広告のコピーのようなインパクトのある見出しが並ぶ誌面は、なるほど外国の新聞を真似ているようにも見えるが、大手新聞の無味乾燥な見出しとは違って、仲の良い友達から語りかけられたような普通のコトバで、世の中に対する問題提起やメッセージが記されていた。アジテーション気味の見出しを目で追うだけで気分が高揚してきて、これこそが僕ら世代の感覚、北山さんが好んで使っていた言葉を借りるなら「ロック」のフィーリングが感じられる記事だと思いながら読んでいた。
ところで、ぼくが何故、とうの昔に廃刊になった雑誌の連載コーナーについての話をしているかというと、僕らスペクテイター編集スタッフ全員が敬愛してやまない大先輩・北山耕平さんが、このページのアンカーマンをつとめていたからだ。

北山耕平???偉大な編集者・作家・翻訳家・先住民文化の伝承者・ストーリーテラー・笑う雲・虹の戦士…
北山さんの経歴を簡単にまとめると、以下のようになる。
1949年神奈川県湘南生まれ。都内の高校を経て立教大学社会学部へ入学。大学3年のときにアルバイトで雑誌『ワンダーランド』の編集に携わり、卒業後、『宝島』と名前を変えた同誌の編集長に抜擢される。
75年から76年までの1年半を同誌の編集長としてつとめあげた後はフリーのライターとして『ビックリハウス』『POPEYE』『GORO』などの雑誌で活躍するようになる。
76年からはアメリカに活動の拠点を移し、雑誌の取材の仕事などをこなしながら4年ほど生活。そして80年に帰国してから、前述の「イメージ・スーパー・マーケット」のアンカーマンとして活動を開始する。
北山さんはアメリカで出会ったネイティブ・アメリカン(先住民)のメディスンマン、ローリング・サンダーの考え方や世界観に影響を受け、その後は先住民研究家としての活動を精力的に開始、ネイティブ・アメリカン関係の本の執筆や翻訳を数多く手がけるようになった。
たくさんある編著書・訳書のなかでも代表的な著書に『ネイティブ・マインド:アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(サンマーク文庫)、『自然のレッスン』(ちくま文庫)、『雲のごとくリアルに:長い旅をして遠くまで行ってきたある編集者のオデッセイ 青雲編』(ブルース・インターアクションズ)などがある。

北山耕平さんが、これまでどのような雑誌に、どんな内容の原稿を書いて、どんな旅を続けてこられたかということについては、まもなく(10月初旬)発売になる本誌『スペクテイター』37号「北山耕平」特集を、ぜひ読んでみて欲しいのだけれど、北山さんがアンカーマンをつとめていた「イメージ・スーパー・マーケット」の記事から受けたインパクトは脳裏に深く刻まれ、のちの雑誌づくりのきっかけとなる「ある重要なこと」を僕に教えてくれた。

アンカーマンというのは、週刊誌などで記事を効率よく量産するためのシステムのことで、データマンと呼ばれる記者が集めてきた取材情報をもとに記事を書き上げるのがアンカーマンのしごとだ。データマンはアンカーマンのおかげで現場での取材に専念できるし、アンカーマンは独自の視点を通じて事件や出来事の背景にあるストーリーを語ることができるというわけだ。
「イメージ・スーパー・マーケット」でアンカーをつとめていたスタッフは北山さんを筆頭に社外から集められた3、4人のスタッフ(浅香良太、北山耕平、長野真など)だったそうだが、データマンが持ち帰った情報をもとに相当な字数の月刊誌の原稿を一晩で一気に書き上げていたというのだから恐れ入る。

photo
photo

ついまた話が逸れてしまったけど、僕が「イメージ・スーパー・マーケット」に学んだことは、雑誌では何を取り上げるかも重要だけど、それと同じくらい大事なのが、取り上げたニュースをもとに、なにを語るべきか、ということだった。情報を右から左へ届けるだけが雑誌編集者の仕事ではない。人間でいえば人格にあたるものや心が雑誌にもあって、つくり手が感じたことを自由に声にしていいんだよと、その連載は声の出し方を僕に教えてくれた気がしたのだ。

新聞やテレビ、ネットのニュースサイトでも最も重視されているのは速報性だ。ニュースの現場で何が起きたか。それからどうなったか。情報を順番に追うことで僕たちは物事の価値や善悪を判断しようとしている。しかし、その背後には幾重にもかさなりあった複雑な物語や時間が流れていて、そのことを理解しないことには出来事の意味も違ってくる。
どの地点から、どんな角度で、また、どんな気持ちで物事を見るかによっても変わってくる。
声の大きな人の側に立つか、喋れない側に立つか。他人よりも優位に立つことを良しとするかしないか。簡単に言うと、その人の意識によって世界の見え方はまるで違うものになるのだろう。
「イメージ・スーパー・マーケット」の記事からは、そのニュースを伝える原稿の行間から副音声のような調子で語り手の声が聞こえていた。それは平和と自然を愛するやさしい心を持った人の声だった。
真っ暗な宇宙に浮かぶ地球の写真には「きみは地球が泣いていると思わないか?」という問いを添え、猟銃を持ってこちらを見つめるマタギ(猟師)の写真には「彼は野蛮人だと思われてるけど実は勇敢な戦士なんだ」と諭すような言葉が添えられていた。こんなふうに心の声を響かせて、読み手の心を共振させられるのが雑誌というメディアの力なのだと僕は、このとき学んだ気がしたのだ。

いまから18年前、それまで編集に携わってきた雑誌の編集部を離れた僕は、あたらしい雑誌の旗揚げを企てていた。自分が読みたくなるような雑誌をつくりたいと思ってはいたけれど、なにからはじめたらいいのか、さっぱりわからなかった。
インターネットメディアがアナログメディアを駆逐しそうな時代に紙のメディアができることって何だろう? そうやって悩んでいるときにふと思い出したのが子供時代に「イメージ・スーパー・マーケット」から受け取ったメッセージだった。北山さんが過去に手がけられた仕事のなかにヒントを見出し、僕は新しい雑誌を創刊できるかも知れないという手応えのようなものを感じたのだった。

そうして、20世紀が幕を閉じるギリギリ直前に滑りこむようにして発刊した『スペクテイター』と名付けた雑誌に乗って今もボクは旅を続けている。 レコードのB面に収められていた曲が、いつしか人生のテーマソングになることがあるように、壁に飾った一枚の写真が部屋の空気を変えてしまうことがあるように、たまたま手にした雑誌の小さな囲み記事が人生を変えることもある。 僕がいまも雑誌づくりを辞められないのは、そんな偶然を信じているからなのかも知れない。

photo

スペクテイター37号
特集:「北山耕平」
北山耕平さんが過去に雑誌に発表した原稿を中心に、その偉大な仕事を振り返った特集

2016年10月10日
定価952円(税別
発行=有限会社エディトリアル・デパートメント
http://www.spectatorweb.com/

【主な記事】
■ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ
■今もし二十四時間ロックンロールを流しているような放送局があれば、もう少し日本は良くなるだろうと確信している??」
■ロックとは
■れにいぶるうす殉教録 (MARTYROLOGIUM) 1927 - 1966
■ジェイルハウス日本の住人に完全なる自由はない
■ニュー・ジャーナリズムとは音楽の世界でいえば強烈なロックなのだ! ■天皇陛下のロックン・ロール
■インタヴュー泉谷しげる おれは?熱い台風?と呼ばれるstreet rock'n' rollerなのだ。
■Knock on POPEYE ポパイ編集部のドアを開けてみた
■こうしてぼくは法廷に立った ルポ・マリワナ裁判
■たったひとりの戦争 わたしたちの生活の基盤をゆすぶる一枚の老マタギの写真
■もうひとつの激動の六〇年代は?
■チャンドラーにニュー・リアリズムを感じて…
■あるシャーマンとの出会い 私は彼から何を聞いたのか??
■ビジョン・クエストはなんのためのものか インディアンの儀式が現代に再生したわけ
■日本から一切の差別をなくす最後の方法
■「イメージ・スーパー・マーケット」元担当編集者氏が語る北山耕平/新島徹インタビュー
■寄稿=細川廣次/島本脩二/浅香良太/野村敏晴/村上清

photo

青野利光| TOSHIMITSU AONO

1967年生まれ。エディトリアル・デパートメント代表。大学卒業後2年間の商社勤務を経て、学生時代から制作に関わっていたカルチャーマガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフとなる。1999年に『スペクテイター』を創刊。2000年、新会社を設立して同誌の編集・発行人となる。2011年からは活動の拠点を長野市へ移し、出版編集活動を継続中。