Safe & Clean Vol.15  ?海のアスリート 渡辺莉子さん? Safe & Clean Vol.15  ?海のアスリート 渡辺莉子さん?

Safe & Clean Vol.15 ?海のアスリート 渡辺莉子さん?

Safe & Clean Vol.15?海のアスリート 渡辺莉子さん?

Safe & Clean Vol.15
?海のアスリート 渡辺莉子さん?

SHIPS'S EYE

NPO法人 下田ライフセービングクラブの活動理念に賛同し、1995年からその発展と振興をサポートしているSHIPS。同クラブの長い歴史のなかでは、さまざまな人材が生まれ育ってきた。今回は、日本初の女性ライフセーバーとして活躍し、いまやレジェントと呼ばれる渡辺莉子さんにインタビュー。アウトリガー・カヌーの日本代表選手としても知られる彼女が語った、自然との調和とは?

女性ライフセーバー誕生のために男になってくれ

ーー日本初の女性ライフセーバーとお聞きしましたが、この世界に入ったきっかけを教えてください。

渡辺 今は毎日海を感じながら生活をしていますが、海のない県で生まれ育ち、子どもの頃からとても海に憧れていました。そして、渋滞にはまりながら家族で出かける海水浴が大好きでした。その頃から、いつか大人になったら海に関わることがしたいと思っていて。ライフセービングを始めるきっかけは、「海好き?」って聞かれた大学のサークル勧誘。私の知らない世界でしたけど、先輩たちが自分たちの活動に誇りを持っていて、輝いて見えて、とにかく飛び込んでみようと思ったんです。高校まではトランポリンや器械体操など陸の競技ばかりでしたから、新しいチャレンジでもありましたね。

ーー当時、女性でライフセーバーを目指す人はいなかったのですか?

渡辺 その頃から、女性もベーシックという資格は取っていましたが、海ではピンク色のTシャツを着て、パラナースという看護婦のような立場になるのが一般的だったんです。それは歴史的な経緯で自然に生まれたもので、もともと日本のライフセービングは浜を守るために男性が自主的に始めたものなんですね。そんな彼らをヘルプするために、女性たちがごはんを作ったり、迷子の世話をしたり、応急処置をしたりしていたんです。私が始めた頃はすでに女性も資格を取って海でパトロールに入っていましたが、サーフエリアと遊泳エリアを分けるような交通整理がメインで、実際にレスキューに向かうことはなかったんです。

ーーなるほど。オーストラリアやアメリカのような本場では、すでに女性ライフセーバーが活躍していたけれども、日本ではまだ確立されていなかったということですね。

渡辺 そうですね。やはり人命救助というのはかなり厳しい世界ですから。その後、私が社会人2年目くらいですかね、当時のディレクターが「女性でもばりばりスイムをやっている人もいるし、体力的に十分な人もいる、そんな彼女たちがライフセーバーとして活躍できるようにしたい」と仰って。そのためにも、私に「男になってくれ」と(笑)

人の命はもちろん、自分の命を考えるようになった

ーー女性でも人命救助ができるという前例を作るのは、それくらい大変なことなんですね。

渡辺 黄色いTシャツを着るということは、本当にレスキューに行くということですから。その恐怖心をはね除けるためには、覚悟が決まっていないと事故につながってしまう。技術面はもちろんですけど、気持ちの問題もすごく重要なんです。また、私は女性でもできることを認めて貰うために、練習でも大会でも常に一番で浜に上がってくることを肝に銘じていました。ただできるだけでなく「すごい!」と思わせてこそ、女性でもライフセーバーとして認められるだろうと思ったんです。それが自分のエネルギーになりましたし、ハンディを感じたことはなかったですね。

ーーそれはすごい、渡辺さんがレジェンドと呼ばれる理由がわかった気がします。黄色いTシャツを着るようになって、何か意識的に変化はありましたか。

渡辺 常に命と向き合う活動になるので、人の命はもちろん、自分の命を考えるようになりました。また、海にいる時間が格段に増えたので、自然のエネルギーを敵に回さず味方につけるというか、自然と調和することの重要性を感じるようになりました。チームでお互いをサポートしながら活動するので、仲間を信頼する気持ちや尊敬する心も日常的に生まれたように感じます。

ーー渡辺さんが始めてから、どれくらいで女性ライフセーバーが一般化されたのですか?

渡辺 「男になってくれ」と言われたのが1995年で、全ての女性が黄色いTシャツを着るようになったのは’97年ですね。そこから更に技術と精神のボトムアップを図って、一般的になったのは’01年頃です。それ以外にも、ジュニアプログラムのスタートや、日本にふたつあったライフセービングの協会をひとつにまとめる仕事など、要所で立ち上げをやらせてもらって。まだ発展途上だった一番おもしろい時期に、コアな仕事ができて感謝しています。選手としても、さまざまな大会で表彰台の一番上にあがらせてもらい、いい経験をいっぱいさせてもらいました。

アウトリガー・カヌーから見える自然と仲間と調和

ーー最近はもう浜にはいないのですか。

渡辺 講習会の指導員というカタチで、インストラクターを育てる仕事はしています。「パトロールの引退はしないで」と後輩に言われているので、いまはお休み中という感じですかね(笑)。近年は、サバニという沖縄の伝統的な帆掛け船や、中国由来のドラゴンボート、川でのラフティングなど、漕ぎの世界にハマっていて。いまはアウトリガー・カヌーに多くの時間をかけています。

ーーアウトリガーカヌーというのはどんなもので、どういうレースがあるのですか。

渡辺 普通のカヌーと似ていますが、細くて安定性が悪いので、アウトリガーと呼ばれる自転車の補助輪みたいな浮きが付いているんです。1人、2人、4人、6人乗りがあるのですが、私は6人乗りのチームでレースをしています。レースによっては10人のメンバーで、約20分間隔で交代しながらゴールを目指して行く。チェンジになると伴走艇がコースを先回りして選手を海に落とし、そこにアウトリガー・カヌーが滑り込んでくるので、一斉に思いっきり船に乗り込む。交代する選手は反対側の海へ落ちて、それを伴走艇が拾うを繰り返すんです。休めるのは10分くらい、その間に補給や応援もしますから大変です。先日もモロカイ島からオアフ島に渡る65〜70kmくらいのレースに、日本代表として出させてもらって。厳しい海峡レースで、快挙ともいえる12位まで駒を進めてきました。

ーー滅茶苦茶ハードじゃないですか。しかも、それを海峡でやるなんて。

渡辺 今回は海がおだやかだったので全体的に早く、私たちも6時間10分の好タイムでゴールしました。通常は7時間超えのレースになりますね。海峡が荒れると電信柱くらいの高さのうねりになるので、伴走艇が波間に消えて見えなくなってしまうんですよ。

ーーえぇ?っ。そんな漕ぎの世界の魅力ってどんなシーンなのですか。

渡辺 水を人力でキャッチするところですかね。自然と調和しながら、エンジンなしで進む感覚が楽しいんです。海峡を渡るには自然とどれだけ調和するか、また、チームスポーツなので仲間との調和も大事です。気持ちがばらばらなマッチョメンバー6人よりも、運動が苦手でも息の合う6人のほうが速く進むスポーツなんですよ。そういう面白さや、そこでの自然の見え方に魅力を感じますね。

自然の中では、人はあっさり死んでしまうくらい小さい存在

ーー調和という点で、ライフセービングと面白さは一緒なんですね。

渡辺 自然のなかでは、人はあっさり死んでしまうくらい小さな存在なんです。波ひとつ取っても、向かっていけば押し戻されてしまいますよね。それを押し戻されないようにしながら、逆にパワーをもらって沖から波に乗って帰ってくる。どれだけ自然の力を味方につけられるか、調和できるかは、ライフセービングも漕ぎの世界も一緒だと思いますね。

ーーその境地から見えるものは、また違ったものなんでしょうね。ちなみに、渡辺さんは一年中、海に入っているのですか?

渡辺 いろいろなことに興味があるので、最近は冬眠と称して海から離れ、冬は山を走ったり滑ったりしていますね。違うアクティビティをすることはクロストレーニングになりますし、カラダのメンテナンスにもなるんです。

ーー興味のあることが、すべてカラダを動かすことなんですね。

渡辺 確かにそうですね(笑)。昔からカラダを動かすことは大好きで、ずっと動いてます。そんな性格なので、カラダのメンテナンスというか整えることにも興味があって。まだまだアスリートとしてやっていきたいので、食事について学びながら実践をしています。食べるのが大好きというのもありますけど、最近は何を食べたかで自分がどう作られていくのか、それがこの先の人生まで続いていくことを体感しているんです。日本食は素晴らししいですよ。自然素材の活かし方はもちろん、発酵文化など、カラダや食、環境などすべてを含めた生き方の重要性を感じています。そういうことを小さい規模ですが、ワークショップを通じて必要な方にお伝えしたりもしていて。

調和が満たされたときに結果が生まれる

ーーそのワークショップもまた興味がそそられます。とはいっても、当分はアスリートとしてガンガンやっていきそうですね。

渡辺 そうなりそうですね(笑)。年齢的にもカラダがきつくなってきますが、続けることが力になることを実感しているんです。アウトリガー・カヌーのレースも、回を重ねるごとに経験値が増え、結果につながっていますから。

ーー最後に、今後の目標を教えてください。

渡辺 直近の目標は、11月にあるアウトリガー・カヌーの日本大会でチャンピオンチームになることですね。でも、優勝というのは、仲間と切磋琢磨しながらハードな練習を続けた結果として、付いてくるものだと思うんです。勝利を取りに行くというより、調和が満たされたときに結果が生まれる。ライフセーバーのときから、私は競っているという感覚がないんです。自分の培ったものを出し切ること、自然からエネルギーをもらうこと、そういう感覚のほうが強いですね。将来的には、いまの活動を継続させながら、自分の経験を必要とする人がいたら、喜んで伝えて行きたいです。

ーー今日はありがとうございました。これからの活躍を期待しています!

渡辺莉子 Riko Watanabe

1995年、女性初のレスキュースタッフとしてパトロールに入り、その後6年間女性ライフセーバーの意識や技術を引き上げる為に力を注ぐ。
2001年、親子で学べるSHIPSベーシック(保護者向けプログラム)の立ち上げをおこなう。
その後、本場のライフセービングを学ぶために渡豪。ゴールドコーストのサーファーズパラダイスSLSCや、サンシャインコーストのマルチドSLSCでブロンズ・シルバーメダリオン、IRBドライバー、インストラクターの資格を取得。パトロールやトレーニングに加わり、大会出場や講習会での指導の経験を積む。
近年は、シーカヤックによる知床半島の旅や、沖縄から奄美大島までの島々を渡るサバニ航海を楽しむなど、自然を感じる時間を大切にしながら過ごしている。また、子供たちの無人島キャンプリーダーや、小・中学校や専門学校・大学の講師として、さらには旅やレースのトークイベントなど通して、海や自然の素晴らしさを伝えている。
一方、インストラクターを育てる指導者として、ライフセービングの普及にも尽力している。

主な戦歴
ライフセービング
1989年、全日本選手権でCPR(心肺蘇生法)競技で金メダルを獲得。その他、国内大会でサーフスキーやアイアンマン競技で、連覇を含む優勝や入賞に数多く輝く。
2000年、アイアンマンレースにCPR、2キロビーチラン、ビーチフラッグスの競技を加えたシリーズ戦で総合優勝。「真のライフセーバー」の称号を与えられる。
オーストラリア時代はマスターズでサーフスキーレースブランチ2位、州大会4位、全豪6位。世界大会にも3度出場。

ドラゴンボート
2004年〜2008年 東日本選手権4連覇、全日本選手権で4度の準優勝。

ラフティング
2008年 ジャパンカップ優勝、ワールドカップに日本代表として出場し3位入賞。

サバニレース(沖縄の伝統帆掛船)
座間味島から沖縄本島に渡る35キロのレースで、2009年から女子部門連覇中。総合(男女合わせて)でも、常に2位または3位に入賞中。

アウトリガーカヌー
日本国内レースでは数々の優勝やクラブ総合優勝を経験。
2001年、ハワイのコナレースに日本人として初出場。
2009年、日本人初(アジア初)のチームとして、ハワイのモロカイ島からオアフ島に渡る世界最高峰のレース「Na wahine o ke kai」に参戦。毎年順位を塗り替え、2014年はオープンカテゴリー12位でゴールを果たす。