音SHIPS −注目アーティストの友だち巡り・[.que]編− 音SHIPS −注目アーティストの友だち巡り・[.que]編−

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音SHIPS
−注目アーティストの友だち巡り・[.que]編−

SHIPS'S EYE

いま巷を賑わせている若手トラックメーカーを数珠つなぎにしていく新企画の第2弾! 今回は、Metomeさんからの紹介で[.que](キュー)さんが登場! 彼が生み出す美しくも爽やかなトラックを聴けば、すぐさま目の前に自然の風景が立ち上がり、ちょっとした旅気分が味わえるはず。今回はそんな音楽が生まれた理由や、これまでの軌跡についてお話を伺いました。

ーーMetomeさんからのご紹介! 今日はよろしくお願いします。まず最初に、[.que]さんは徳島出身ということですが、どんなきっかけでMetomeさんと知り合ったのですか。

[.que] 最初のきっかけはツイッターなんですよ。2?3年前かな、僕は広島の大学を卒業して、就職で大阪に来ていて、MySpaceやSoundCloudにちょっとずつ音楽をアップしていた頃。そうしたらある日突然、MetomeくんからツイッターのDMに「[.que]さんですよね? 今度近くの川でセッションしませんか?」ってメッセージが届いたんです。いきなり会ったこともない人からのDMにびっくりしてしまって、でもかっこいい音楽をやっていることは知っていたので、会いたいとは思ったんですけど、最初の誘いは一度流しました(笑)。そうしたら、また急なお誘いメールが届いて。「Seihoさんの家でたこ焼きパーティをやるので来ませんか?」って。めっちゃ馴れ馴れしい人だな?と思いながらも、そのたこパに行ったのが最初ですね。そこには関西のトラックメーカーがたくさん集まっていて、その場で初めてSeihoさんやMetomeくんはもちろん、関西のデイトリッパー周辺のアーティストと出会ったんです。

ーーMetomeくんは、ガンガン声をかけるタイプなんですね。

[.que] そういうタイプだと思いますね。Seihoさんもそういうところがあるし、関西独特の気さくな感じというか。ふたりとも根っからの大阪人なので面白いですね。でも、たこ焼きパーティがきっかけでみんなと出会えて、今ではそれぞれ個人として人気が出ているのは感慨深いですし、いい刺激になっていますね。自分も頑張ろうって気持ちになります。

ーー最近は関西の勢いがすごいですよね、面白い作り手が多い。

[.que] 自分も根っからの関西人ではないので、大阪の熱は身近にいながらも感じていて。東京に来る前から思っていたのは、関西チームは音楽に対する考え方がすごくマジメで、本当に愛を感じるんですよ。気さくだし、みんなで盛り上がっていこうと一致団結している感じもあって。この1?2年は、それが現実になってきた気がします。

ーーそれはすごくわかります。ちなみに、[.que]さんはいつくらいから音楽を始めたのですか?

[.que] ちゃんと始めたのは大学からですね。軽音部でオリジナル楽曲を作り始めて、そこからめっちゃ音楽にのめり込みました。

ーーストレイテナーがお好きだと聞きましたが。

[.que] むっちゃ好きですね。バンド時代はパンクやメロコアが好きで、Gt. & Vo.で金髪で「お前らかかってこい!」って叫んでいるような感じでした。

ーーえぇ?っ! いまと全然違いますね。

[.que] よく言われます(笑)。もちろんいまもパンクは好きですけど、当時はそれが一番かっこいいと思っていて。そのときはバンドとしての夢もいろいろありましたけど、なかなか甘くはなくて。そうこうしているうちに就活の時期になってしまったので、脱退して社会人を始めたんです。

ーーバンドは残ったんですね。

[.que] そうなんですよ。僕が辞めてからも新しいメンバーを入れて頑張っていましたが、残念ながら昨年解散してしまいました。一方で、僕は図面描いて職人さんに指示するみたいな仕事をしていて。毎日作業服着て、ヘルメット被ってやっていましたね。でも、音楽を諦めきれない自分がいて、休みの日にギターを弾いたり、鍵盤に興味をもったりしていたんです。そうこうしながら、ひとりでもできることはないかと思っているときにDTM(パソコンでの楽曲制作)を知って。これなら休日や帰宅後にもできるなと思って始めたのがキッカケです。

ーー最初の頃はどんな活動だったのですか?

[.que] パソコンで曲を作る知識も機材もなかったので、MTRにアコースティックギターを入れて、ウィスパーヴォイスで歌ったりしていました。それをMy Spaceとかで発表して。

ーー一番の驚きは、バンドではパンクやメロコアだったのが、ひとりで作るようになってからはエレクトロニカ/フォークトロニカの方向になったということなんですが。

[.que] ストレイテナーのホリエアツシさんが、ent(エント)というソロプロジェクトでDTMみたいなのをやっていたんですよ。それまでの僕はパンクとかメロコアしか聴いていなかったから、初めてアンビエントやポストロック、エレクトロカって音楽に触れて、何だこれは? って。そこからググりまくっているうちに、面白い電子音が入っている楽曲の面白さに目覚めたんです。最初は真似をしながら、自分なりに作っていたら爽やかサウンドになっていったという。

ーーその経緯ってすごく面白いですね。故郷・徳島に捧げたアルバムもありますが、ひとりでコツコツ作っていたら、生まれ育った環境が出てきたみたいなことですか?

[.que] それはあると思いますね。結局、真似したいとか流行りを取り入れたいと思うこともあるんですけど、そうやって作っても、自分の個性が勝手に出てしまうんです。結果的に、楽曲に対してのアプローチとか聴かれ方に影響してくるというか。

ーー地元はどんな場所なのですか。

[.que] 徳島の牟岐(むぎ)という5000人くらいののんびしした町で、市内からクルマで2時間くらいかかるんです。高速道路もなく自然がいっぱいで、高校生になるまではコンビニもなかったですね。海、山、川が近くにあって、自然のなかで遊びながら秘密基地を作るような本当の田舎っ子です。

ーー四国はどこも海と山が同じくらいの距離にあっていいですよね。

[.que] 毎年一回は帰るんですけど、癒しを求めに戻る感じです。今日も多摩川を越えてきましたが、川を見ると泳ぎたくなるし、故郷に対する思い出ってすごく鮮明に残っているんですよ。一方で、地元で就職して、結婚して、安定した家庭を持つことに対する反発心もあって。たぶん、まだ思春期のままなんだと思います。

ーーそんななかで、大阪の会社を辞めて東京に出て来たのは、音楽で行くぞっていう意気込みの表れだったのですか。

[.que] パソコンで曲を作り始めて1年後くらいに、ネットの反応が良くなってきたんです。そんなある日、オーギュメントファイブって映像会社の人から「僕らの映像のために曲を作ってくれませんか?」ってメールが突然来て。まだ機材もほとんどない状態で作ったら、その作品が1?2年後に突然BUZZったんです。反響も大きくて、もしかしてこれはイケる? って軽く天狗になって、2年務めた会社を辞めて音楽だけでやっていこうと。それまで、音楽でお金を得る手段ってCDを出して売ることしか知らなかったので、新しい道が拓けた気がしたんですよね。これからは映像や広告の音楽をやりながら活動を続ければいいなと、でもそんなにうまく行くわけもなく(笑)。翌年からはバイトをしながら音楽制作をしていました。

ネットで話題になったオーギュメントファイブによる草津温泉の映像。音楽は[.que]さんが担当。

ーーそこから東京に行こうというキッカケはあったのですか?

[.que] バイトをしながら、映像音楽やCDを作ったりしているうちに、ちょっとずつ仕事が増えてきたんです。でも一番大きいのは、東京に憧れていたことですかね。30歳までに一回は住んでみたかったんですよ。東京のクライアントが多かったので、せっかく一緒にやるならSkypeではなくリアルに会って、面と向かって話をしたかったというのもあります。海外のマイナーなアーティストも東京には必ず来ますし、これまで見れなかったライブを生で観てみたいという思いもあったり。

ーーなるほど、でも東京は一度住んでおいて損のない場所ですよね。[.que]さんの音楽はどんな感じで生まれるのですか。

[.que] 自分が気に入った風景のなかに、こんな曲が流れていたらいいなって作ることが多いですね。だからタイトルもわかりやすいんですけど、例えば『DEPARTURE』という曲であれば、小豆島へ行くフェリーに乗りながら見えた景色を切り取っています。写真を見ながら曲を作ることも多いですね。

ーーアンビエントやフォークトロカに興味を持つようになってから、影響を受けたアーティストはどんな方ですか。

[.que] 根底にあるのは、やはりホリエさんのentですね。フォークトロニカでは、宮内優里さん。京都で初めてライブを観たときに、まさしく僕が目指しているものだと思いました。あとは、いまのレーベルオーナーであるAkira Kosemuraさんや、haruka nakamuraさんですね。

flora / [.que]

ーー[.que]さんの音楽は女の子ウケが良さそうに感じます。また、基本的に嫌いだという人がいなさそうというか。

[.que] それ、めっちゃ言われますね。でも、僕はそこを狙っているわけではなくて、めっちゃかっこいと思って作っているんですよ。100万枚くらい売れるんじゃないかなって。でも、結果的にそう捉えられて、そう聴かれるのは予想の斜め上で面白いですね。確かにゆるふわ系女子は多いかもしれないですけど(笑)。本心としては、いまの音源をバンドで再現してライブハウスでドカーンとやりたいですね。

ーーファッションについても伺いたいのですが、徳島時代はどんな感じでしたか。

[.que] 徳島市内に行くことすら困難でしたからね。電車ではなくて汽車で一時間に一本しかなく、片道1400円くらいするんです。そうなると、地元が中心になるし買うところが決まっちゃうんですよ。セレクトショップもなく、BIG AMERICAN SHOPっていう大きなジーンズ屋さんがあるくらい。なので、高校生時代は親がクルマで市内に出るときに連れて行って貰って、セレクトショップ風な店に行ったりしていました。当時は雑誌の情報がすべてで、憧れながら読んでいました。

ーーそうなると、大学で広島に出たときは衝撃ですね。

[.que] めっちゃ感動しましたよ。 シップスみたいなセレクトショップがいっぱいある! みたいな。それで服を買いまくりましたね。古着屋さんでバイトしながら、メンノンやポパイを読んでました。

ーー洋服はお好きなんですね。

[.que] 東京では若いデザイナーさんの展示会に行ったり、ショップ巡りもしますよ。

ーー最後に、今後やってみたいことを教えてください。

[.que] さっきも話したように、バンドでライブやりたいですね。あとは、映画音楽やCM音楽とか、活動の幅を広げて行ければと思います。来年の初旬に新しいアルバムを発表するので、もし良ければ聴いてみてください。

ーーますますのご活躍を期待しています。今日はありがとうございました!

[.que] / Nao Kakimoto

1987年生。徳島県出身、神奈川県在住の音楽家・柿本直によるソロプロジェクト[.que](キュー)。
アコースティックギターを基調に、繊細なエレクトロニクス、柔らかで清涼感溢れるサウンドを奏でる。
2010年より大阪で[.que]としての活動を開始。高橋幸宏氏(YMO、pupa)を審査員に迎えたFRED PERRY×MySpace 楽曲コンテスト「FRED PERRY / WHY?」にて優秀楽曲として評価される。これまでに『sigh』、『calm down』、『drama』の3枚のアルバムを発表。
2013年、SCHOLEよりリリースされた3rdアルバム「drama」はフォークトロニカの傑作として高い評価を得ている。
その他、企業広告、TVCM、空間演出、映像作品への楽曲提供、楽曲制作など、その活動は多岐に渡り、様々なコラボレーションも行っている。
2014年、活動拠点を大阪から東京へ。同年9月、初のコンセプトアルバム『Water’s Edge』をリリース。
http://que-music.net/