Spectators Evergreen Library vol.6 緑色世代の読書案内
SHIPS MAG 読者のみなさん、こんにちは。
時を超えて読み継がれるべき本を推薦する連載「Evergreen Library」。
4月下旬に発売予定のスペクテイター最新号『Whole Earth Catalog』特集〈後編〉にまつわる話をしたいと思います。
スペクテイターは次号(4月下旬発売・30号)でも引き続き『Whole Earth Catalog』(『WEC』)を特集します。
『ホール・アース・カタログ』はサンフランシスコを拠点に1968年から数年に渡って発刊が続けられた出版物。既存の社会のルールに縛られずに自由な生き方を模索していた若者たちから熱狂的な支持を得た、「もうひとつの生き方」を手に入れるための情報カタログです。
日本でも一部の人たちのあいだでその名が知られ、カウンターカルチャーを体現するうえで不可欠な重要な情報源として人気を博しましたが、それがどのようにして作られ、どのように読まれたかを総括的に語った記事は見たことがありませんでした。
そこで『ホール・アース・カタログ』とは、いったい何だったのか?
誕生から終焉までの軌跡を辿り、その中身を徹底検証する特集号を2号に渡って作ってみようと考えました。
その後編にあたる今号では、いよいよ核心に迫るべくカタログの編集に携わった4人の編集者に話を聞くために、今年の2月の終りから3月にかけて、彼らが拠点とするサンフランシスコのベイエリアに取材に出かけてきました。
インタビューを試みたのは以下の4人。
*スチュワート・ブランド
(『WEC』創刊当時の編集発行人、『地球の論点』(英治出版))
*ロイド・カーン
(『WEC』編集者、『Shelter』『ホームワークス』)
*ハワード・ラインゴールド
(『Whole Earth Review』『Millennium WEC』編集者、『スマートモブズ』(NTT出版))
*ケビン・ケリー
(『Whole Earth Review』『WEC Signal』編集者、『Cool Tools』)
『WEC』の歴代の編集者4人を同時に取材してまとめた記事は、おそらく世界初と言って良いでしょう。 貴重な証言の中身は次号に掲載されているので、ぜひお読みいただきたいのですが、今回のMAGではその取材の際に足を向けた「ボリナス」という、ちょっと変わった町を訪問したときの不思議な体験について書きたいと思います。
ボリナス(BOLINAS=正式にはボリーナスと言うらしい)は、サンフランシスコ市内から車で北へ二十キロほど走ったところに位置する小さな町です。
僕たちがこの町を目指したのは、ホール・アースの歴代編集者で建築や緑地利用に関する記事を担当し、1970年から〈シェルター・パブリケーション〉という小規模な出版社をこの地で営んでいるロイド・カーンさんに話を聞かせてもらうためでした。
ロイドさんからメールで送られてきた道順を頼りに、サンフランシスコ市内からゴールデンゲートブリッジを渡り、ハイウェイ1号線を太平洋を左に見ながら北上、曲がりくねった山道を超えて、ようやくたどり着いたのが人口1600人あまりのビーチ沿いのリトルタウンでした。
ここはもともとはシェラネバダ山脈から湾岸一帯にかけて暮らしていたミウォーク族の居住地で、サンフランシスコから最も近いビーチに接していることから、50年代頃までは避暑地としても人気を博していたそうです。
サンフランシスコ市内から一時間ほど車を走らせ、ようやく目的地に辿り着いた僕たち取材班でしたが、目指していた分かれ道を曲がった瞬間、どうやらそこが「ふつうじゃない場所」であることに気付きました。見るからに変というわけではないけど肌に感じる不思議な空気。
そもそも、普通は町や村の入り口にあるはずの地名を示す案内も一切なく、どこからがボリナスなのかがわかりません。ロイドさんから「わかりにくいから気ををつけろ」と念を押された分かれ道を見逃すことなく曲がらなければ、その村へたどり着くことができないのです。
初めてこの地を訪れた誰もがそうしたように恐る恐るY字路を曲がり、右折左折を繰り返し、ようやくたどり着いたところは瀟洒な家が立ち並ぶエリア。やや高級そうな家もあるけれど、いかにも手作りの暖かみが感じられる家が並んでいます。
ここがボリナスの中心地でした。
波音に誘われてビーチへ出てみると、コンクリートの防波堤にはカラフルなグラフィティが目に入りました。平日の昼という時間のせいか僕たち以外の訪問客はひとりも見当たらず、海で波待ちをしている地元のサーファーと、長髪にヒゲでサンダル履きの、いかにもヒッピーというような出で立ちの父親が子供を遊ばせているだけでした。
町に一カ所だけの繁華街らしきエリアにはアメリカの田舎町に必ずあるような日用雑貨や肉野菜などを扱う店やカフェ、図書館とコミュニティセンターのような施設がありました。ここまでは田舎の町のよくある景色だけれど、ちょっとだけ気になったのは、この町の規模にしては妙に良質でオーガニックにこだわった食材を扱うスーパーと、リサイクルショップに古本屋が併設された店があることでした。
不要になった洋服を寄贈して、それを誰でも無料で持って帰れるスペースのようなものもありました。
たまにすれ違う地元の人たちも、単に安売りのブランドの服を着ているのではなく、その代わりに古着をそれなりのコダワリを持って着こなしているようにも思えるし、殺伐としたアメリカの地方都市の風景とは様子が異なります。チープというよりはローキーでファンキーに、お金を使わないライフスタイルを楽しんでいるような、やや知的な雰囲気も漂っています。
実は、あとから判ったことだけど、このボリナスというところは60年代ヒッピー世代のイコンとしても知られるリチャード・ブローティガンの小説『西瓜糖の日々』の舞台となった場所だったのです。
ブローティガンは有名な作家なので説明は省きますが、代表作『アメリカの鱒釣り』はヒッピーのバイブルとも評され日本でも多くの人に読まれている名作。『西瓜糖の日々』はブローディガンにとって三作目の小説で、アイデスという架空の町を舞台に展開される物語が詩的なコトバで綴られています。
ボリナスは、その小説の舞台となった場所であり、実際にブローティガンがこの作品を執筆したのも、この海沿いの静かな町だったというわけです。
〈アイデスでは、どこか脆いような、微妙な感じの平衡が保たれている。それはわたしたちの気に入っている。
小屋は小さいが、わたしの生活と同じように、気持の良いものだ。ここの物がたいがいそうであるように、この小屋も松と西瓜糖と石でできている。
わたしたちは、西瓜糖で心をこめて生活を築いてきた。そして、松の木と石の立ち並ぶいくつもの道を辿って、わたしたちの夢の果てまで旅をしてきた。〉
『西瓜糖の日々』リチャード・ブローティガン著 藤本和子訳(河出文庫)
さらに、これも後から知ったことですが、このボリナスという町には、音楽やアートや文芸活動に従事する有名人が多く暮らしているようなのです。
インターネットに散らばっている情報や噂を集めると、たとえばこんな人たちの名前を発見できます。
*ジム・キャロル(詩人、作家。『マンハッタン少年日記』ほか。故人)
*ジョエル・コーエン(映画監督。『ファーゴ』『ビッグ・リボウスキ』)
*ハーモニー・コリン(映画作家。『KIDS』『ガンモ』)
*バリー・マッギー(グラフィティ・アーティスト、画家)
*アーサー奥村(画家、イラストレーター。故人)
*アラム・サロイヤン(作家、『和解ー父サロイヤンとのたたかい』)
*アリス・ウォーターズ(レストラン・オーナー、『アリス』
*ローレンス・ファリンゲッティ(詩人、〈シティライツ〉書店オーナー)
*ポール・カントナー(ミュージシャン、ジェファーソン・エアプレインのボーカル)
ボリナスは、クリエイターやアーティストや作家のようなタイプの人が好んで暮らす町なのです。
これはアメリカに限ったことではないけれど、大都市に人口が集中すると地価が高騰し、交通渋滞、犯罪、スラム化など様々な問題が起こります。そこで、活動の場所を自由に選べる職を持った人たちは激しい競争が繰り広げられている都会を離れ、素朴な人間関係や自然環境を味わえる土地へと移住をはじめ、やがてそれに影響されて集まった人々によって新しいコミュニティが生まれます。
ホール・アース・カタログに出ている情報を必要としていたのは、そのようにして新しい土地へ移住した人々やヒッピーたちでした。
自由な生き方を求めて集まってきたヒッピーたちにとって、ボリナスは約束の地だったのです。
かつてボリナスに暮らしたことがあるという日本人に聞いた話によれば、70年代から80年代頃にかけては多くのヒッピーが移住してコミューン生活を送り、70年代のアイコンとして知られるあの丸いドーム型の建築物があちこちに建てられていたそうです。
もともと大工の仕事をしていたこともあるというロイドさんも移住組の一人で、71年にこの土地に半エーカーの土地を買い、リサイクルした材木を使って自力で家を建て、庭で野菜を育て、その家の敷地内に編集部を構えて出版活動を始めました。今でも年に何度かは車で全米を旅をしながらセルフビルドの家に暮らす人を取材しては、それを気の合う少人数の仲間と一緒に本にして発売するという、とても理想的な出版活動を昔と変わらないスタイルで続けているロイドさんは、ホール・アース・エディターズのなかでも僕が最も憧れる編集者の一人です。
まるでヒッピーの時代で時計の針が止まっているように思えたボリナスだけど、ロイドさん曰く今では都会から来た金持ちが別荘を買って週末を過ごしにくる場所になりつつあるようで、50年前に比べると地価もずいぶん高騰しているそうです。
それにしても、このような場所が奇跡的に存在しているところがアメリカの面白いところ。サンフランシスコ市内はIT事業で大金をせしめたお金持ちと貧しい人たちとの貧富の差が問題になっているようだけど、そのような影響がこの町にまで及ばなければ良いなと思いました。
ボリナスにまつわる、こんな話を聞きました。
かつてはこの町にも地名が書かれた道路標識が立てられたことがあったけれど、突然の訪問客を迎えたくない住民たちが夜中のうちに引っこ抜いて捨ててしまうことが何度も繰り返され、挙げ句の果てに遂には国も標識の設置を諦めたというのです。そんな気骨のある住民たちがいつまでも元気で、平和な町であり続けることを祈りつつ、僕たちはボリナスを後にしたのでした。
古今東西の家のハンドビルドできる簡素な家の作り方を世界を旅しながら集めて編んだカーン氏の出世作。
コミューン的な場所〈iDeath〉に暮らす西瓜糖世界の人々を描き70年代の若者に支持された小説。
予約がとれないレストランのシェフであり、食を通じて革命を起こしたアリスのクックブック。
ニューヨークでドラッグにまみれた少年時代を過ごした詩人・ロックンローラーの著者が10代に綴った日記。
家にあるもので作れる子供と一緒に楽しめる楽しいトリックを紹介した本。著者は日系アメリカ人のイラストレーター。
青野利光
1967年生まれ。エディトリアル・デパートメント代表。
大学卒業後、2年間の商社勤務を経て、学生時代から制作に関わっていたカルチャーマガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフ。1999年、スペクテ イター創刊。2000年に現在の会社を設立。昨年の夏から長野市に活動の拠点を移して出版編集活動を続けている。