LOVE FOR NIPPON LOVE FOR NIPPON

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CICATA SHIPS JET BLUE

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キャンドルを灯しながら人と人との繋がりを築きあげているアーティストCandle JUNE。彼の活動は日本国内に留まらず世界中のミュージシャン、アーティストに支持され続けている。そんな彼の復興支援活動にまつわる話を東京、代々木上原にある彼のショップELDNACSで伺ってきた。日本人なら誰もが灯した事があろう蝋燭、このシンプルな蝋燭の構造に似て、彼の行動は誰もが共感でき賛同できるとてもシンプルで彼らしい復興活動だった。


復興支援活動なんですが、そもそも自分は2010年1月13日に起きたハイチ大震災に対する支援目的として「LOVE FOR HAITI」という活動をMINMI、若旦那とそれに賛同してくれるアーティストと共に活動していたんです。それから様々なイベントを重ねながら1年が経過したころ、遠い国の話だけど、自分たちにもちょっとずつ見えてきているハイチの人達がいたから、いずれは向こうにも行くタイミングも考えつつ3年間位は支援活動を続けていきたい、なんて考えていた時期に東日本大震災が起こりました。ハイチの事をやりながら日本の事もじゃなくって、申し訳ないけど日本の事が優先だと、それから「LOVE FOR NIPPON」に切り替えたんです。それと同時に日本のチャリティーの特性って“何処で誰が初めた”“目的は何”“それに賛同する人はこの人”という図式が嫌だなと思って、自分も発起人の一人ではあるけれども、賛同してくれる色んな人も初まりの一人という意味合いで、皆が“スターター”になっていくという形にして初めたのがLOVE FOR NIPPONなんです。

復興支援活動はまず “お金じゃないんだ”という事をしたかった。みんな直ぐに寄付、義援金って話になるんだけどそうじゃないんだって思って。始まりはとにかく著名人に集まってもらい、被災した地域の方々を励ましてあげる事でした。そこには沢山ファンがいるだろうし、何よりも大勢の方が亡くなっているからその被災した方々や家族を失った方々にメッセージを送って欲しいと。メッセージを集めて、それこそ“がんばろう東北”ではなく“お悔やみの言葉”を集めていきつつ、まだ安否確認もとれていない時期でもあったから友人が立ち上げた“安否確認サイト”と連動し、一番リアリティのある情報をネット上で作っていって、それと同時に緊急支援の物資を集めるという活動に移行していったんです。物資は一般で公募してしまうと物流的にパニックになってしまうので、著名人に呼びかけて物資を提供してもらい、実際に自分が届ける。その届ける先も海外ならしかるべき人が解るんだけど、今回の震災は日本で起きていてこれだけ多岐にわたっていたので、しかるべき団体がとか自衛隊がとか国がやるべきとかではなく、もう少し民間で出来る事がある筈だと考えました。

これまでの様々な活動から色んな団体から情報を収集できていたので、既存の団体は福島には入れないという事ははっきりしていました。事故当時の福島には団体という団体はほとんどが支援で入れないという状況だった。原発の状況をほとんどの人が解っていたし、放射能の怖さも知っていた。そんな中で団体が団体職員を現地に送れるかといったら送れる訳がないけれど、自分達は幸い団体という団体ではなかったし、自分が指示をして誰かを行かせる訳でもないし、自分が行くんであれば自分だけの判断で行動が出来る。LOVE FOR NIPPONの皆から集めた物資を自分達でいざ運ぶ段階で、宮城や仙台には割と早い段階で物資が運ばれていた情報は入っていたので、福島には一時はほぼ毎日、車が物資で一杯になり次第、現地に向かっていました。自分からすると今回の震災は新潟や神戸と違って震災と原発と津波、この3つをしっかり分けて考えなくてはいけないと思ったのと、あまりに広範囲になりすぎていたから今までの新潟とか神戸の意識では絶対にまずいんだと思った。なるべく福島には早い段階から、そして同時にLOVE FOR NIPPONを立ち上げて多くの人に声掛けしていく中では、皆も物資を集めるだけではなく何かしたいという人が多かったので、炊き出しに行くなら宮城の中でも比較的早くから多くの団体が入って基地も作られていた石巻や気仙沼など被害の規模が大きかったところ以外のエリアに行こうと決めていました。自分達のLOVE FOR NIPPONは多くの著名人が賛同しているので、メディアとの連動を考えるとクローズアップされる事が大事だとも思いました。

そこで宮城でも光が当たらない福島に近い南の方の街に入っていって、そこで炊き出しをしたり物資を提供したりという事を始めたんです。自分達は現在も続いている新潟中越地震のあった場所での活動やハイチでの経験を生かし、自分達の出来る復興支援活動を行っているだけなんです。仕事以上の仕事と思って取り組んでいかなければ、やっぱりチャリティーとかボランティアみたいなイメージがついているものに対しては中々うまくいかないんですよ。蓋を開けてみたら多くの人がお金は沢山出したけど義援金が未だに配られていないという事実に気付かされる、気付いてはみたものの大きく世間のシステムが変わったかといったら変わらないのが現状ですよね。どうしてもやっぱり赤十字だとか大きなところは税制上優遇されているので、大きな企業なんかは特にそこに委ねてしまう。別に赤十字が悪い訳ではない、ただほかの団体の活動にあまりに光が当たらなすぎて、他の活動家は貧乏な中思いだけでやっていくので、思いが強いとついつい敵視してしまうかのようにみえてしまう。「なんで俺達はこんなに頑張っているのにお前達ばかり普段通りの生活が出来るんだ」と、そう言いたくなってしまう訳なんですよ。

これはとっても残念な事で一般の人達だって思いはあって何かしたいっていうのはあるんだけれど、何をしていいか解らないとか疑心暗鬼になってしまうとこがあると思うんですよ。各団体はお金を集める以上は報告をちゃんとしなければならないし、やることはどんどん増えていき、つっこまれる要素もどんどん増えていく。そこに困っている人がいるから助けたいだけなのにそこに到達するまでにものすごく遠回りをしなくちゃならなくなる現実がある。自分からすると、これが今回の震災で本気で変えていかなくちゃいけない要素じゃないかって思っていたので、少しだけ違うアクションにしたいっていうのが今回の復興支援当初からの思いなんですよ。

Candle JUNE

世界各地で火を灯す?2001年に広島で「平和の火」を灯してから「Candle Odyssey」と称する争いのあった地を巡る旅を始める。アメリカを横断、N.Y.グランド・ゼロで火を灯し、その後ア ?フガニスタンへ?広島、長崎など国内を旅し、終戦記念日には中国チチハルにて火を灯す。新潟中越地震後は、“復興から更なる発展へ”と「SONG OF THE EARTHフェスティバル」を開催。LOUIS VUITTON、PRADAなどのレセプションパーティのデコレーションや様々なファッションショー、Fuji Rock Festivalをはじめとする野外フェス、またBen Harper、Neil Young、忌野清志郎などのライブステージに空間演出で参加。また、3.11におこった東日本大震災をうけて「LOVE FOR ?NIPPON」を立ち上げ、幅広く活動中。

http://www.lfn.jp/