Safe & Clean Vol.23  ?地元サーファーから見た下田の魅力とオリンピック? Safe & Clean Vol.23  ?地元サーファーから見た下田の魅力とオリンピック?

Safe & Clean Vol.23
?地元サーファーから見た下田の魅力とオリンピック?

NPO法人 下田ライフセービングクラブの活動理念に賛同し、1995年からその発展と振興をサポートしているSHIPS。ここでは毎号、下田ライフセービングクラブに関する情報を発信しています。今回は、下田ライフセービングクラブの誕生から現在までを近くで見てきた、サーファーの酒井厚志さんにご登場いただきました。酒井さんは白浜の絶景スポットにあるショップ「MARINER」を経営されているだけでなく、日本サーフィン連盟・理事長、マリンネット下田・理事と多岐に活躍されています。そこで、80年代の下田の盛り上がりから、2020年東京オリンピックより正式種目として新たに加わるサーフィン競技についてまで面白い話をいろいろと伺いました!

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夜の白浜は大渋滞、花火の煙で前が見えなかった

??酒井さんはもともと下田が地元なんですか?

酒井 出身は東京で、大学生だった19歳のときにアルバイトで初めて来たんです。それが1977年。先に白浜の民宿でバイトをしていた友だちが、「波があってサーフィンができて、バイトしながら飯も食えるし、女の子もいっぱいいるぞ!」って。そう聞いたときは「そんな天国みたいな場所が本当にあるのか?」って半信半疑でしたけど、来てみたら天国でした(笑)。一番驚いたのは水の綺麗さ、波もあって、それからはサーフィンにのめり込んでいきました。サーフィンを始めた湘南の海では、砂浜にまっすぐ向かって波を縦に滑る感じでしたけど、伊豆・白浜に来て初めて横に乗っていく人を見ましたね。

??白浜といえば若い男女が集まるスポットとしても有名でしたよね。そういう意味で一番盛り上がったのはいつ頃なんですか?

酒井 1970年代初め?90年代初頭くらいかな。このサーフショップを始めたのは1986年ですけど、当時はまだまだ盛り上がっていましたし、ここも24時間営業でした。

??さすが80年代! すごい時代ですね。

酒井 ひっきりなしにお客さんが来る感じですよ。夏になると毎日のように観光バスで何百人という若者がやってくるんですから。しかも、夜になるとみんな海岸線の国道にクルマを停めてビーチで花火をしちゃうから大渋滞。花火の煙で前が見えなくなるんです。そのぶんゴミもすごくて。朝の3時くらいになるビーチクリーナーのクルマが浜を行ったり来たりして毎日ゴミの山。

??地元の方は大変でしたでしょうけど、そのぶん経済効果もすごそうですね。

酒井 当時は渋滞がすごくて、お盆の時期は東京から片道で約8?10時間(通常は3?4時間)くらいかかって。GWでも6?8時間くらいはあたり前。昔は民宿も100軒くらいあってどこも満室でした。僕がアルバイトをしていた白浜荘にも「どこでもいいから泊まらせてください」っていう人がたくさん来ました。屋上にサマーベットを置いて寝ている人もいたし、もちろんビーチで寝ている人もいた。そんな状況なので、朝になると観光協会の前には宿泊のキャンセル待ちで100人くらい並んでて。

??いまや湘南でもそんな光景は見られないですよね。サーフィンカルチャーでいうと、白浜はどんな歴史があるのでしょう。

酒井 もう60年近くになるのかな。「ゲンさん」の愛称で知られる金指源二(かなざしげんじ)さんという方がいらして。その方は3兄弟なんですけど、下田では彼らが一番最初にサーフィンを始めたといわれています。もともとは横須賀の米兵がサーフボードを持ってやってきて、そこで初めて見たみたいですね。そのうちに、東京でモデルをやっているような、おしゃれな人たちがクルマにボードを乗っけてやってきたり。そうこうしているうちに、「好きに乗っていいから、ボードを保管してくれ」という人も出てきて。そういうボードを使って地元の人は上達していったみたい。それが1960年代前半なのかな。

??酒井さんが下田に来られた頃はどうだったんですか?

酒井 僕が来たときはもうある程度流行っていて、ロングボードからショートボードに変わった時代。まだシングルフィンでしたけどね。

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下田のマリンスポーツを健全に発展させるための活動

??下田ライフセービングクラブとは、どういうつながりなのでしょう。

酒井 大学卒業後、僕は白浜荘に残ってマリンショップの店長をしていたんです。そこの寺川さんという方が、白浜ライフセービングクラブの役職をやられていて。ライフセーバーの方たちはお店にもよく来られるし、自然と交流があったんですよ。僕はサーフィンをする立場から何か手伝えることがあればっていう感じです。いまは「マリンネット下田」という、下田のマリンスポーツを健全に発展させるための活動を一緒にやっています。

??マリンネット下田はどんな活動をされている団体なのですか?

酒井 ひとつは、マリンスポーツの大会やビーチを使用する際の窓口になっています。これまではそういうものがなかったので、漁協に話を持っていく人もいれば、観光協会に話す人もいる。また、近くのサーフショップだったり。本当はどのルートでもいいんですけど、うまく連携が取れてないとトラブルになりやすいんです。そこで、申請書を作って、市や県や海上保安庁や観光協会など、みんながどこで何をやっているのかを把握できるようにした。マリンネット下田は今年で15周年になります。

??大会窓口以外ではどんな活動をしているのでしょう。

酒井 下田では、毎年9月の第1土曜・日曜に「BIG SHOWER」というイベントがあるんです。そのなかで、土曜に「キッズサーフィンスクール」、日曜に「大人のサーフィンスクール」を開催しています。その日はレンタル込みで3000円と安いので、毎年参加者が多いですね。その他には、ビーチクリーン活動の取りまとめをしたり、道の駅で写真展を開いたりと、下田の海のカルチャーを広める活動をしています。

??現在、下田ではサーフィン以外にどんなマリンスポーツが人気ですか?

酒井 サップやシーカヤックをやる人が増えていますね。彼らはサーフィンと違って、波のない場所まで行ってシュノーケリングを楽しんだりしています。あと、昔から釣りは人気があります。

??下田はサーフィン競技会場として、東京オリンピックの誘致活動をされていますよね。

酒井 そうなんですよ。でも、私は日本サーフィン連盟(NSA)の理事長でもあるので、そこに関しては一歩引いて見守っています。立場的に下田ばかりを応援するわけにはいかないですから。でも、あくまで個人的な気持ちですが、下田の綺麗な海が世界中に映されたらいいなとは思います。

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東京オリンピックのサーフィン競技は、世界で男女各20人しか参加できない

??そもそも、なぜ東京オリンピックからサーフィンが追加競技になったのでしょう。

酒井 国際サーフィン連盟(ISA)は、2000年のシドニーオリンピックあたりから正式種目になるよう働きかけていたんです。オーストラリアはサーフィンのレベルが高いですから。でも、その後もなかなかIOC(国際オリンピック委員会)の許可が下りず、ついに実現できることになったが2020年の東京オリンピック。ISAの本心としては今年のリオで実現させたかったと思いますよ、ブラジルもサーフィンが強いですから。

??日本代表選手はどうやって決めるのですか?

酒井 まだ、オリンピックのやり方も決まっていないんです。最初はウェーブプールでやるなんて話もあったくらいで。しかも、世界で男女各20人しか参加できないので、そもそも日本人が出れるのかわからない。世界的にも選考方法が決まってない状態なんです。とはいえ、もし日本の枠が取れたとしてもどう選ぶかは悩ましい問題です。

??そんな状態なんですね。でも、サーフィンが正式種目になることでいろいろと変化が起きそうですね。

酒井 日本サーフィン連盟では全日本選手権を含め、年4回主催大会をしていますが、開催地として立候補してくれる地域は増えましたね。これまで行政からのサポートはほとんどない状態だったので、そういう意味ではありがたい。一方で、オリンピックまでにサーフィンによる事故や事件が起きないか心配です。注目されているだけに、そういう部分も気をつけなくてはいけません。

??オリンピックの競技会場が正式に決まると、次はどんなことが起こるのですか?

酒井 すでにJOC(日本オリンピック委員会)から打診が来ていますが、合宿地やキャンプ地を決めたり、その場所にはどんな設備が必要なのかを提案したりですね。会場周辺の環境も良くなっていくので、一般のサーファーもその恩恵を受けると思います。いずれは日本全国の海岸で、駐車場やトイレ、更衣室、無料シャワーなどが完備されるようになるかもしれない。カリフォルニアやオーストラリアに行くと、どんな狭い海岸でもビーチパークがあるじゃないですか。ああいう感じです。

マリンスポーツ教育を通じて、地元を盛り上げていきたい

??最後に、これから未来に向けて下田エリアがどうなることを望まれてますか?

酒井 それこそ30年前は、浮き輪をして海に浸かっているだけでみんなが喜んでくれたんです。でも、いまはレジャーが多様化していて、サーフィンやシュノーケリングや釣りなど、海でしかできない楽しみを求めにやってくる。そういった意味では、下田は絶好の遊び場なんです。あるビーチで波が悪くても、クルマで少し移動すれば条件が変わったり。そういった地の利を生かした環境作りを進めていきたいですね。そのためにはまず、地元の人にもっとマリンスポーツを楽しんで欲しい。以前、下田の小学生は「危ないから海に行ってはいけない」と教えられていました。でも最近は変わってきて、マリンスポーツが体験できる子ども向けの教室も増えています。今後はライフセービングクラブの方にも協力いただきながら、教育を通じて盛り上げていきたいですね。地元の人ならマリンスポーツをひと通りやったことがある、そのほうが魅力的でしょ?

??確かにそうですね。下田出身というプライドも生まれ、地元愛も高まりそうですね。今日はありがとうございました。

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酒井 厚志 | Atsushi Sakai

有限会社 白浜マリーナ 代表取締役
一般法人 日本サーフィン連盟 理事長
一般法人 マリンネット下田 理事

1976年4月 大学入学と同時にサーフィンを始める
1985年8月? 全日本選手権大会など主要大会へ出場し、支部長クラスで全国優勝するなど活躍(支部代表として全日本選手権大会へ8回出場)
1989年4月?1992年3月 日本サーフィン連盟 静岡伊豆支部長
1991年4月?日本サーフィン連盟 ジャッジ委員として、国内外の大会ジャッジを実務する
1998年4月?日本サーフィン連盟 理事として、ジャッジ委員会、事業委員会、広報委員長を実務
2013年4月?日本サーフィン連盟 理事長就任
2013年10月 2013 世界ジュニア選手権大会 日本代表チーム団長
2014年10月 2014 世界ジュニア選手権大会 日本代表チーム団長
2016年4月?JOC総務委員就任

サーフィン関係取得資格
日本サーフィン連盟 公認指導員、公認A級ジャッジ(審査員)、スクール審査員
海上レジャー安全指導員
海上保安協会 海上保安協力員

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