スタイリストの哲学  〜八木智也の場合〜 スタイリストの哲学  〜八木智也の場合〜

スタイリストの哲学
〜八木智也の場合〜

ファッションの最前線で活躍するスタイリストの内面に迫る恒例企画。今回はNYでのアシスタント時代を経て東京でデビューを果たした異色の経歴を持つ八木智也氏を迎えた。そもそもは短期で行くはずだったNYの魅力に取り憑かれ、気がつけば目標だったスタイリストへの足がかりも掴んでいたという氏。その行動力とユニークな視点の源には何が隠されているのか?

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短期の留学のつもりがNYに行ったら気に入っちゃって(笑)

??NYに行ったのは何歳のときですか? それはスタイリストになるのが目的だったのでしょうか?

「22歳のときですね。一応、文化服装学院を卒業してから行きましたので、心のどこかにはスタイリストになりたいというのはありました。でも何かコネクションやツテがあったわけではなかったんですよ」

??そもそも東京でキャリアをスタートさせようとは思わなかったのでしょうか?

「日本でやろうとも思っていたんですけど、その前にNYに短期で留学しようと軽い気持ちで行ったんです。当初は半年の予定でした。それが長くなったという感じです。実は、本当はロンドンに行きたかったんですよ。それがNYに行ったら気に入っちゃって(笑)」

??なるほど。そこからスタイリストというのはどうやって結びついていったんでしょうか?

「自分としてはスタイリストになりたいという意識はあったので、いろいろな(ファッションに関係するような)人に会ったりすることはしていましたね。それで多くの出会いがあって、たまたま後の師匠となる竹中さんが日本からNYロケに来たときにお手伝いをさせていただいたんですよ。それから少ししてから竹中さんがNYに引っ越してくるということになって、正式にアシスタントになったんです」

??たまたまお手伝いしたスタイリストが活動拠点をNYに移したということですね。それは偶然ですか?

「そうなんです。当時の日本人のルームメイトがロケとかをアテンドする仕事をしていたんですけど、僕が(ファッションに)興味があるというのを知っていたので、竹中さんを紹介してくれたんですよ」

??そこからがギャリアのスタートということですね。

「そうです。そのときは24歳になっていたと思います。アシスタント時代はヨーロッパの雑誌の撮影が多くて、いいものをたくさん見させていただきましたし、良い経験になったと思っています。あと師匠はロバート・ゲラーのショーを立ち上げから担当していたんですが、それもアシスタントとして関わらせていただいたのは大きかったです」

??確かにNYコレクションを毎回お手伝いするというのは、貴重な経験ですね。そういったアシスタント時代はどのぐらいやられたんですか?

「2010年まで、約4年ですね」

??メンズとレディスの比重は、どんな感じだったんですか?

「基本的にはレディスが中心だったんですが、NYにいるとメンズだ、レディスだという括りみたいなもの自体があんまりないので、そこは意識はしていませんでした。実際に目にした世界はレディスがメインで、モード的なファッションフォトが多かったです。メンズを中心にお仕事をするようになったのは、日本に帰ってきてからですね」

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自分が納得できるファッション写真を
撮りたいっていう価値観が大きいです

??2010年で、なんで日本に帰って来られたんですか?

「NYで経験したことが自分的にもある程度満足したというのもありますし、いろいろなタイミングが重なったというのもありますね」

??日本に帰ってきて、こちらのやり方に馴染むまでは多少時間はかかりましたか?

「そうですね。ただ多くの同級生が、いろんなアパレル(会社)で頑張っていたので、紹介してもらったりしながら徐々に仕事をするようになっていきました。日本のスタイリストさんの現場も見させていただいたり手伝ったりしながら、こちらの具体的な仕事の進め方も理解していったという感じです」

??NYとの違和感みたいなものはなかったですか?

「いや、違和感だらけでしたよ(笑)。丸6年間行ってましたから、自分が大分NYに染まっていたというのもありますし。日本の常識的な振る舞いとかそういうところからも、自分の感覚はいい意味でも悪い意味でも飛び出ていたと思います。ただ、それを頭で考えてもしょうがないですし、あんまり細かいことを気にして縮こまっていても仕方ないので、こちらのやり方をしっかりやっていこうと思っていました。最初は、他の人から見たらいろいろと違うなって思われていたかもしれませけど(笑)」

??自分の方向性みたいなものは、日本に帰ってくる前の段階で決めていたんですか?

「そうですね。アシスタントをしていた段階で、いわゆるファッション写真に常に触れてきたので、そういうものを通してスタイリストとしてやっていきたいイメージはでき上がっていました。向こうでそういうものに触れる前までは、ファッション誌を見ても洋服を見るという観点だけだったんですが、洋服を単に見せることとは別な価値観でファッション写真というものがあることを知って、興味が湧いたんですよ。それから洋書のファッション写真を改めていろいろと見るようになって、スタイリストでこういうことをやりたいっていうビジョンが固まっていきました。なので、自分が納得するようなファッション写真を撮りたいっていうのが、価値観としてはもっとも大きいです。それができるポジションまでいくために、自分なりに考えながらやっていきたいと思っています」

??日本でそれをやっていくというのは非常に難しくはないですか? ファッション写真というものに対する考え方は、NYとは明らかにちがうでしょうし。

「もちろん、すごい大変な部分はあります。たとえば好きなファッション写真を参考画像にしてそれをみんなで再現してもしょうがないわけですから。試行錯誤しながらいろいろな条件をクリアしたうえで、自分たちなりのファッション写真を作っていけたらと思っています。スタッフ間でも、アイデアやイメージをできるだけ言葉で伝えようとするんですけど、なかなかお互いの意思って伝わらない部分もありますし、そういうもどかしさは常にあります」

??自分の目指す部分とスタッフとの意思統一、あとは求められるものとのバランス感も必要ですよね。

「そうですね。でも、あるカメラマンとお仕事をさせていただいたときに、こちらが思い描いていた方向性とは全く違う結果になったんですけど、それが逆にすごくいい仕上がりだったんですよ。それはそれで楽しいですし、複数の人間で作っていく醍醐味だとも思っています。あとファッション写真っていうのは時代感がダイレクトに出るものだと思いますので、そういうものを踏まえて作るという作業は、すごい好きですね。ファッション写真は時代とともに変わっていきますし、服と同じで流れもあります。そこが面白いと感じています」

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自分が納得できるファッション写真を
撮りたいっていう価値観が大きいです

???なるほど。ところで、帰国した当時、日本のファッションの状況を見て率直にどう感じましたか?

「みんな一緒だな(笑)って思いましたね。こっちに帰ってくる前もNYに来る日本人を見てそういうふうに感じることも多かったです。特にアパレルの方が来ると。日本には流行りがあるんだな、今こういうのが流行っているんだな、っていう目で見ていましたけど」

??具体的にいうと当時はどんなスタイルが多かったですか?

「ちょうど自分が日本に帰ってくるちょっと前ぐらいまでは、トラッドがすごい流行っていましたよね。チノパンにBDシャツを着た日本人がよくNYにいた記憶があります。ただ率直にオシャレだなと思っていましたよ。日本に帰ってきたら、そんな感じでみんなオシャレにしてて、女の子も可愛いなって感じました(笑)。それが当時の日本の印象です」

??それから5?6年経ちますが、日本での自分なりのやり方は掴めてきたと感じますか?

「そうですね。最近は肩の力が抜けて気持ち的にラクにやれるようにはなってきたと思います。ただ、やりたいことは自分のなかでちょっとずつ変わっていきますから、その都度その都度、自分が頑張れるようなことをやり続けられればいいなと思っています」

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??自分が仕事をしていくうえで、もっとも大切にしていることはなんですか?

「NYにいたときに、テストシュートや作品撮りをよくしていたんですが、そういうときって自分の意見をしっかりと言わないといけないんですよ。カメラマンやヘアメイクなど多くのスタッフがいるなかで、それに参加する以上、現場では自分の意見が明確にあってそれをちゃんと声に出して言わないとものづくりができない。そういう経験が自分のなかでは大きくて。なので、撮影の際は、どんな状況でも自分の意見はしっかり言うようにしています」

??自分が好きなカルチャーやスタイルみたいなものはあるのでしょうか?

「あくまでクリエイティブのスタイルということでいえば、バンクシーですね。全然フィールドが違うんですけど、すごい好きで。発想の転換だったり、メッセージ性もあって、彼なりの主張を彼なりのやり方でやっているので。ただ、自分がスタイリングをするうえで影響を受けている具体的なカルチャーみたいなものは、限定的にこれだというのは言えないですね。NYにいたので、音楽にしろ絵にしろ写真にしろ、いろんなジャンルがあって、いろんなムーヴメントの根本みたいな人がいっぱいいたんですね。ぱっと見はイケてないんですけど、人種も宗教も価値観もいろいろで、みんな面白いことをやっている。それが何かのトレンドの出発点になったりもして。日本にいるとそういうものが洗練された形でしか伝わってこないじゃないですか。そういう(NYにいるような人たちのような)スタンスでクリエイティブなことができたら嬉しいなという思いは心のどこかにはありますね」

??既存の何かにとらわれないで、自分の感覚的な部分でやっていきたいということですかね。

「そうですね。表現欲求みたいなものはあるかもしれないですね。それがファッション写真であれば、スタイリストというポジションで関わっていきたいということです」

??自分の感覚を大切にしていくということは、流行などにはあまり乗っからずにやっていきたいということでしょうか?

「いや、流行を全く無視するということではなくて、洋服でもなんでも、あくまで自分の肌感覚で納得して取り入れていきたいんです。外部からの情報として耳に入ったものをそのままスタイリングに取り入れるのではなくて、自分で実際に触れたり感じたりして、“新しいな”とちゃんと思えて初めて自分なりに摂取する。そういう感じが好きなんですよ。それは結構手間がかかることではあるんですが、ちゃんと取捨選択しながらやっていきたいですね」

??なるほど。最後に新しくチャレンジしたいことなども含めて、これからのヴィジョンを教えてください。

「最近はファッションという枠だけではなく、ミュージシャンやアーティストと絡んでヴィジュアルを作ったりすることも楽しいです。そういう幅の広がりは面白いんですが、CDジャケットにしても映像にしてもスタイリストという立ち位置は変わらないと感じています。一回一回のクリエイティブは世の中に伝わりづらい部分もありますので、数を増やしていって“こういうのをやりたい人なんだ”ということが徐々に伝わっていったらいいなと思いますね。雑誌に限らずPVや映画などジャンルはこだわらずにやっていきたいです」

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八木氏に影響を与えているのは常に時代性を捉えたファッション写真。なかでもイタリア版ヴォーグは今も昔も大切なバイブルだという。「アシスタント時代からずっと見ているのがヴォーグです。常に世相や時代を切り取ったファッション写真が満載で、刺激を受けます。見る場合は必ずイタリア版ですね」

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八木智也(やぎ・ともや)

1981年東京生まれ。文化服装学院卒業後、2004年にNYに移住。2006年よりスタイリスト竹中祐二氏に師事。レディスを中心に多くのファッションヴィジュアル制作及び、NYコレクションでのロバート・ゲラーのショーにも携わる。2010年に独立と同時に帰国。現在はメンズのスタイリングを主軸に、雑誌、映像を問わず理想のファッションヴィジュアルを求めるべく日々奮闘中。
http://www.pictaram.com/user/tomoyayagi/1836630286
http://www.factory1994.com

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ファションデザイナーの鷲尾昭典氏とフレンチの有名店や著名ホテルで料理長を務めてきた新宮彰氏がプロデュースする無国籍料理が味わえるお店。ファッションブランド「stopover」のラインナップや世界中からセレクトした雑貨などを販売するライブラリーも併設している。ちなみに八木氏は、スタイリストとして「stopover」のイメージヴィジュアル制作にも携わっている。

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stopover tokyo

東京都港区南青山3-8-14 パーク青山 1F
営Lunch 12:00?17:00(L.O. 16:30)
Tea 12:00?24:00(L.O. 23:30)
Dinner 18:00?24:00(L.O. 23:00[food]、23:30[drink])
休日祝
?03・3478・1091
http://www.stopover.jp