国内ニットのトレンドとクラフツマンシップに迫る  山形発「バトナー」の神髄。 国内ニットのトレンドとクラフツマンシップに迫る  山形発「バトナー」の神髄。

国内ニットのトレンドとクラフツマンシップに迫る
山形発「バトナー」の神髄。

日本国内にニットの産地は数あれど、山形県寒河江市ほどあらゆるインフラが整っている場所は皆無に等しい。紡績、染色、編み立て、縫製、そしてその後の加工に至るまで、すべてを一貫して行える環境があるのだ。そんな特殊な場所で生まれ育ち、自らもニットブランド「BATONER(バトナー)」を先導する奥山幸平氏に、ブランドの特性と山形ニットの魅力についてお話を伺った。そこに見え隠れするのは、自分たちのクリエイションに対する確固たる自信と飽くなき探究心だ。世界から注目を浴びるニットを目指し、現在も奮闘を続けている。

HAND KNIT

バトナーの定番でありアイコンでもある畦目の美しいリブニット。立体的な畦目を作り出すために、糸の段階から太さを計算し丹念に編み立てられた逸品だ。袖を通した際のストレスのないテンションとさらに際立つ畦目は、一度着たら病み付きになる。長年愛用できる傑作ニットと呼ぶに相応しい。

セーター ¥18,000(+TAX) /BATONER

TILDEN KNIT

こちらのチルデンニットは、ナイロンをコットンでカバーリングした独自の糸を使用。ハリがある素材感と軽量ボディはとにかく着やすい。実際に着ると圧迫感のない心地よいテンションがあり、体のラインにしっかりとフィットする。

セーター ¥28,000 (+TAX) /BATONER

CARDIGAN&CREW NECK

色鮮やかなカーディガンとクルーネックは、バトナーこだわりの素材であるカシミヤ。通年活用可能なこちらは、良質のカシミヤのみを厳選している。奥山氏曰く「家でハンドウォッシュしても縮まないため、ガンガン着ていただきたい」。ケアしやすいのもカシミヤの大きな魅力の一つだ。

セーター ¥34,000 (+TAX) /BATONER
カーディガン ¥36,000 (+TAX) /BATONER

ブランド名には
“技術を継承していく者”という
思いが込められています

ーーニットブランド「バトナー」は2013年の春夏にウィメンズから始動していますが、まずはブランドを始められた経緯について教えてください。
「私の山形の実家は創業約70年というファクトリーです。様々なブランドと長年取引をさせていただくなかで、いろんな技術を吸収しながら成長してきました。もちろんすごく良い時代もあったのですが、30年ぐらい前から、国内ブランドもニットの生産の場所は海外に移行することが主流となりました。いわゆる安く、早くということが求められるようになったんですね。そんな流れのなかで、せっかく良い技術を持っているのに、それを発揮しづらいという状況がもったいないなぁと思うようになったんです。自分もニット作りに従事して10年ぐらい経つ過程で、なんとかその技術を生かした物作りができないだろうかと考えるようになって。自分たちで企画から生産までして、お客様に本当に良いニットを届けたいという思いから、バトナーを始めました」
ーーそもそも山形がニットの産地になっていったのは、いつぐらいからなんですか?
「戦後ですね。私の実家は祖父が創業したんですが、山形では軍事産業として軍手の生産などをしていた工場跡地にニット工場が作られていったんです。戦争が終わり、洋服やファッションを作る場所に変化を遂げました」
ーー奥山さんは物心ついたときからニットに囲まれて育ったわけですね。
「そうですね。家の裏がニットの倉庫だったので、そこが遊び場でした。マネキンとかも並んでいて、本当にニットに囲まれて生活していましたね」
ーーニットの産地は日本にいろいろありますが、山形ニットの特性は何になるのでしょうか?
「モノづくりの過程に昔ながらのやり方が多く残されていることだと思います。新幹線にしても他の産地より1番最後に開通したので交通の便がよくない場所でした。なので大きな商社、アパレルが参入しづらく古き良き丁寧なモノづくりが伝承されてきました。こだわりのあるデザイナーズブランドの方々が時間をかけてでも山形に出向き本当に拘ったニットを作る。そういったスタイルが定着していきました」
ーー作りとしてはいかがですか? 「バトナー」が一番重きを置いている点は?
「最も意識している点は、フォーム(形)と機能性を融合させてタイムレスかつ凄くピュアなニットを作るということです。厳選された天然素材を使用して開発から時間をかけることによって、他ブランドにはできないような上質のファブリックを作る。そこで差別化をはかるということを意識しています」
ーーそのこだわりは具体的にはどういった工程に反映しているのでしょうか?
「日本国内では希少になってきた70年間培ってきた技術を生かして自社で企画から生産まで全ての工程をじっくり時間をかけて行っています。製作期間は、バトナーの場合は1シーズンに6ヵ月、もしくはそれ以上の時間をかけてサンプルを製作します。普通は長くて2ヵ月、短い場合は1ヵ月でサンプルを作るのが主流です。どうしても制約があるためそうなるのですが、バトナーは全工程を自社で行っているので時間をかけたモノづくりが可能です。」
ーーたっぷり時間をかけて物作りをしているわけですね。
「そうですね。1シーズンに約20型ぐらいのラインナップなのですが、1型づつ何度も何度も試作を繰り返すのでそれぐらいが限度といいますか限界です」
ーーファブリック自体で具体的にこだわっているポイントは何ですか?
「自ら素材を厳選しオリジナルで撚糸したり加工したりして、糸の段階でデザインすることを心掛けています。出来上がりの商品をイメージして、どういうふうに編み上げたら着心地がよくなるか、形がよくなるか、または立体的に見えるかなど、そういうイメージをしながら糸の段階からこだわっています。素材はアイテムによって使い分けているのですが、大きくは春夏シーズンはコットン、秋冬シーズンはカシミヤと良質なウールをメインにしています。」
ーーずばり、いいニットの定義とは何だと思いますか?
「やはり、色んな意味で何年も着られるニットだと思います」
ーー「バトナー」のニットはそれを具現化しているんですね。
「買っていただいた後のケアのことまで考えて作っています。もちろん、ちょっとやそっとじゃヘタリません。ファクトリーならではのノウハウが詰め込まれていますので、基本的に長年着られます」
ーー今後商品展開で思い描いてることはありますか?
「今は畦編の商品や立体的なケーブルの商品が主流になっているのですが、繊細な超ファインゲージのニット等にも挑戦していきたいですね。それも含めてトータル的なニットブランドとして成長できればと思っています」
ーーその超ファインゲージは、いつぐらいまでにお披露目するイメージですか?
「次の秋冬には出してみたいですね。世界で最も細いと言われているファインゲージよりも同等かそれ以上に繊細なものを作りたいんです。作られる量も限られてくると思いますので、まずはわかっていただける方に届けたいですね。少しづつそういうファブリックの量も増やしていきたいです」
ーーそれは凄いですね。加えてバトナーは繊細な発色も特徴かと思うのですが、染色に関してこだわっている点はありますか?
「バトナーの生産を行っている寒河江市の村山地方には、紡績、染色、編み立て、縫製、仕上がってからの2次加工、それを行うインフラがすべて揃っているんです。僕自身が日に複数回出向いて、現場の職人さんたちと話しながら作っていきますので、より精度の高い商品ができます。色もまさにそうで、微妙な色合いや発色を実際に作業工程を確認しながら調整できるので、本当に思い描いた色や風合いを具現化できているんです」
ーー通常はそこまで一貫してやるのは難しいですよね。
「そうですね。日本では唯一と言われていると聞きます。一カ所でこれだけの機能が集中しているのは、世界的に見ても希少だと思います。車で10分圏内にすべての工程を行う環境がありますので。実際に職人さんと顔を付き合わせて作ることができるというのは、非常に価値のあることだと思っています。現場の方々とのやりとりの中で生まれてくるアイデアも多々ありますし、そういう物作りを一番大切にしています」
ーーどの業界もそうですが、やはり職人は減っているのでしょうか?
「そうですね。確実に高齢化は進んでいます。技術者はニットのみならずアパレル業界全体でもそうなっていると思うのですが、下の世代がなかなか育っていかないというのが現状です。30年ほど前に生産場が海外にどんどん移行していったことが大きく関わっているようですが、後継者を育てようとする体力がないし、余裕もないという状況はずっと続いています。実はBATONERというブランド名は、バトンタッチのBATONにERを付けたんです。“技術を継承していく者”という意味を込めています。このブランドとそれに関わる方々と一緒に、大切な技術を継承していければと思っています」

奥山幸平(おくやま・こうへい)

1978年生まれ。山形県寒河江市出身。実家は創業70余年を数えるニットファクトリー。東京の大学卒業後アパレル業界に従事し、故郷のファクトリーには24歳から携わる。現場で指揮を執り、国内外の著名ブランドのニット生産に数多く関わってきた。技術の継承と自らの理想のニットを具現化すべく2013春夏ウィメンズコレクションよりニットブランド「BATONER(バトナー)」を始動。2014秋冬シーズンよりメンズも加わり、多方面から注目を浴びる。現在もすべての生産工程を寒河江市の村山地方で行っている。